シニアと経験と仕事

最近、シニア層の経験を活かして云々企画的な
お仕事の相談がよく来る。

色々なシニア層のヒアリングを行っているが
その経験は本当に、活かせるものなのか?

スキルを活かすためには

・時代とのマッチ
・スキルの質
・人に伝えられる力

この3つが必要になってくる。

行政のボランティア登録とか
スキル登録にはたくさんの人が登録しているが
その質の担保はどうなのだろう。

弊社も求人を出すとたくさんの方にご応募いただけるが
自分のスキルをきちんとプレゼンできる人は
本当に少ない。

だから、「体験」は積んでいても、
「経験」としては積んでないんじゃないか、
多くの人は、「経験」と「体験」を混同してるんじゃないかと
思ってしまう。

責任感が少なくて
人と話せて
お小遣いがもらえる仕事

結局そこに誰もが落ち着いてしまう。

私は、再就職を希望(正社員、パート含め)しているシニア層には
今だからこそ、自己分析とか必要なんじゃないかと思う。

どういう老後にするのか、
老後設計についてきちんと考えて
そのために、タスクを出して
動き出す。

これを定年退職後にすぐにしなくては
明日に先延ばししていると、だんだんできなくなってしまう。

定年退職前に
本当はそういう「老活」的な教育が
必要なんだなー。

「今のシニアは若いから」で
色々な見えにくい「老化」に
ぎゅーっと目をつぶっているように見えるので
そこも含めて、この年末中にいろいろ考えなくてはいけないなと思う。

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シニア行動”あるある”5つのポイント


「若者とシニア層はどう違いますか」

という質問を受ける。


若者の延長線がシニア層なので、若いころに吸収した考え方とか、出会った人によって「シニア」、とひとくくりにすることは難しい。

シニアビジネスが難しいのは
「年齢は若いころからの積み重ね」だから
考え方の幅が広いからなのかもしれない。

ただ、確実にあるのは「体の衰え」「記憶力の衰え」。

これは、自分はそうならない!と思っていても、いずれは誰もが通る道。

そんな「衰え」からくる、サイト操作や機械操作の「あるある」をまとめてみました。

シニア層の行動あるある 5つのポイント

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使える、という一般論のナゾ

使える、という指標はとても難しい。
たとえば、どうにかこうにか、作業がすべてできる。
(たとえば、アプリから旅行の予約ができる等)
これは、達成度としては、「使えた」ことになるのだろう。

では、なにができたら、
「パソコン」や「インターネット」を使えるになるのだろう。

弊社には月々130名くらいの方がいらしていて
その「使える」は千差万別だ。
「使える」の目標値も、現状も
しっかり聞きださないと解らない。

さらに、提供者側の「ユーザーは使える」とも、大きく乖離している。

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なぜ年を取ると腰が重くなるのか。

#ダイエットの話ではありません、悪しからず。
#なぜ、年を取ると新しいものに飛びつかなくなるか、という話です。


「最近の話題についていけなくなって年を感じるぅ」

などの台詞が、同い年の友達からも聞こえるようになった。

年を取ると話題についていけないだけではない、
色々なことに挑戦しなくなる、という特徴がある。

若い子はモノ・コトを見つけると自分で使い方を見出していく。

古い話で恐縮だが、私の花の女子高生時代(笑)には
ビジネスユースだったポケベルが女子高生のおもちゃになっていた。

なにか、自分流にしてしまおう、と、
気負わなくても、できている。

新しいことは楽しい。
楽しそうだから、やってみる。
飽きたらやめる。
楽しければ続ける。

ただ、それだけ。

それが、年をとるにしたがって
その「軽さ」がなくなって、だんだん慎重になる。

「失敗したらもったいない」
「使いこなせないかもしれないから」
「できないかもしれないから」
「今のままでもいいじゃないか、困ってないし」

そうして、新しいものに手を出すのが億劫になり
それが重なって、どんどん新しいことをしなくなり
そして老後を迎える。

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心の老化

精神的な「老化」は、年齢のように測れるものではないけれども、存在している。

それは多くの場合、年齢とは正比例に老化していくように思えるし
そうでないようにも思える。
30歳代でも老化しまくってる人もいれば、私の大好きな90歳女子は体は老いても心は若い。
さらに、定年退職などにより
自然な形(人とのおしゃべり/違う世代との交流)での世間情報が入ってこないことも
精神的な老化を早めている気がする。

会社というのはよくできたもので
自分が好きな人も嫌いな人も
交流を持たなくてはやっていけない。

新橋の飲み屋で「いまどきの若いもんはよぅ」「おれっちの若いときはよぅ」
なんて、くだをまいていても、
明日になればストレス源の「若い者」と交流をし
その人にとっては何らかの刺激になる。

ということで、会社/社会を離れて
自分と同じような人とばかり付き合うようになると
刺激がなくなり、そう、体で言えば「足腰が弱くなる」
ように感じる。

シニア層と接していて、「この人若いなあ」と思うのは

・異文化(異世代、知らないこと)に対して
 「面白そう」と思えるかどうか
 (逆は「興味ない」「そういうのは自分と関係ないから」)

・これができるようになったらあれもできるようになるという
 未来を感じられるかどうか
 (逆は、これができるようになった。あれのやり方は解らない)

・自分の前例を覆すことができる
 (逆は、自分の経験と前例の範囲でしか動けない)

かなあと思う。

できなくてもいいから、やってみよう!って思えることって
とても重要で、そういう人はとても楽しそうで輝いて見えるし

できなくったっていいじゃん、できるようになればいいじゃん、
できなかったらやめたっていいじゃん、

と、軽く挑戦できるのって心の若さを保つ秘訣に見える。

一口でシニアと言っても、体の老化+心の老化も含めて
しっかりどのようなシニア層をターゲットとするのか
把握していないと、しっかりしたシニアビジネスはできないと思う。

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常識という言葉

私は、ジョーシキがあまりないもので(自慢できないが)、自分にジョウシキとやらが欠けていることを重々承知している。

だから、誰かが「ジョウシキ」という言葉を言ったら、空気を読まずに、それが何を指していて、どういうことなのかを聞き出すようにしている。そうでないと、違うことを思っていたりするからだ。(余程のマナー違反の話とかは聞き返さないこともありますけど。)

常識という言葉がわからなくなった時のことをまだ覚えている。

2005年、某巨大企業と某そこそこ巨大企業が統合したときの話。友人が合併した「そこそこ巨大企業」に勤めており、忘年会であった時に「「巨大企業」との色々常識が違いすぎて仕事がうまく進まない」とぼやいていた。

なるほど、そんな巨大企業でも、ジョウシキとやらは、解釈が違うのか。
それで仕事に支障が出るほどに。

じゃあ、常識ってなんだろう?

これもまた知り合いで、「常識的には」というのが口癖な人がいた。
その人の常識がよく解らなかったので、ある日、「どこでの常識ですか」と聞いてしまった。私は空気と言うのがよく読めないのだ。

そして彼は「IT業界での常識。前の会社では誰でも知っていた」と呆れながら私に言った。
(たぶん、呆れながら怒っていただろうと思う。)

なるほど。
会社によって、住む世界によって、仕事によって常識は違う。
IEとChromeのpaddingの解釈の違いとかいうレベルじゃない。

そして、それが「常識」だと思って育つ。すくすく育つ。
それは、当然の話である。

シニア層と話していると、様々な「ジョウシキ」によって成り立っていることがわかる。
多くの人が「常識的にね、」という話をするが、それが、その地域や、仕事、もしくはご主人の仕事、家族によって変わる。

歳をとればとるほど、気の合う仲間と話すようになり、そして、「常識」のお城を確立していく。色々な仲間と会うことで、色々な常識を感じているシニア層もいるが、多くのシニア層は、自分の仲間内での常識を「常識の壁」とは感じずに、常識だと思っている。

同窓会で同窓生に会うと、既に常識のお城の中にいる人もいる。
その中で生きていくことで、より人よりも早く出世できたり、うまくやれたりするからだ。

そう、常識とは、そのコミュニティ内で空気を読んで、言っちゃいけないことは言わないし、言っていいことは、アピールした方がいいし、阿吽の呼吸というか、脈々と受け継がれてきた空気、それが、「常識」。

人は誰も、それぞれの常識を持っているし、それを、本当に常識だと思っている。

だから、シニア層にヒアリングをするときには、その根っこにどういう常識を感じているのかを聞き出さなくてはいけない。

私は「やっぱり、」が会話に増えるとシニア認定をしているのだが、やっぱり、という言葉は、相手と共通認識を持っているということをさりげなく確かめる言葉だと思う。

だから、やっぱり、やっぱりが多い人のヒアリングをする時は、やっぱりの奥に何があるのかをやっぱり確かめる必要がある。

ということで、シニア層のヒアリングとか、なにかあったらお声掛けください。
「やっぱり」に惑わされないだけの人数に会い、表面の言葉に惑わされないとそこそこ自負してますので。シニアマーケットヒアリング調査の常識的に(笑)。

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シニア層への影響を及ぼすもの

「シニア層ってどんなものが好きですか」「シニアの情報源ってなんですか」など、シニア市場(シニアマーケット)に関するお問い合わせが最近多い。(ありがとうございます☆)

今日は、シニア層への情報源の話。情報源と言うより、シニア層に影響を及ぼす色々な人・モノ。
つくづく思うのは、シニア層の嗜好への影響を及ぼすものはとても多いということ。
だから、画一的に「シニア層は孫が好きで」とか「アクティブで」って言えないし、同じアクティブでも、色々な情報源によって、そのアクティブの方向性が変わる。

例えば、女子高生なら学校の友達、塾の友達など、友達関係を中心に、同じ話題をするための雑誌だったり、大体同じ層がある。

しかし、シニア層には影響を与える情報源が人によってとても違うので、それを知らずに括ってしまうとシニア層を把握することはできない。

では、シニア層へ影響を与える情報源ってなんだろう?

まず、「子ども」がいる。子どもがいる場合には、それが男の子か、女の子かでも変わる。子どもがいない人は情報源が比較的少ないし、とにかく仲の良い子ども(所謂姉妹的親子)になると、情報源がぐんと若くなる。

女性の場合、子どもがいる家庭はママ友との付き合いもある。
子どもたち同士はもう30年もあってないよ、みたいな人でも、親同士は仲良かったりもする。

そして、趣味のサークルがある。同じような人が集うので、同じようなものを持ったり、同じようなレイヤーの人が口コミで広げたりもする。そのサークル仲間のお母さんの娘がミーハーだったりすると、これまたミーハーな情報源が入る。

そして、テレビがある。テレビは相変わらず情報源として鉄板である。
見ないと言う割には、見ている。見た人の意見とかを聞いてしまう。
テレビで自分が信頼していると思う人(口では信頼しているとは言わないが、テレビだから間違いないと思っている人がいる)が発言すると、すぐに納得してしまう。(インターネットは見られるけど、信用にはちょっと薄いみたい)

男性の場合、新聞がある。テレビがある。週刊誌がある。老眼になって読むのが辛くなるみたいだけど。
インターネットは見る。新聞のサイトは信用する。Yahoo!も信用しているようだ。でもそのほかのサイトは「嘘も多いよね」と思っている割に、色々なものにまどわされたりもする。(これって、若い人も同じ。私も良くまどわされている。)

そして、株主総会、企業主催のセミナーへの出席も好き。しっかり勉強している。それも情報源。「最近聞いた話で」「今流行の」というのに、多少温度差を感じるが、そんなものだと思う。
そういえば、「定年退職してから新しい情報が入ってこない」と先日、Kさんがぼやいていた。「だから、こういう教室にたまに来ないと、早くボケそうなんだよね」とも。

とにかく、自ら動かないと情報源は減ってしまう。会社にいた頃のように、意識しなくても情報が入ってきた時とは違う。

それから、同窓会。学校と、会社のOB会も重要な情報源。


以上から見ると、高校生や大学生みたいに、解りやすい雲母のようなレイヤーがない。
すごく複雑に情報源が絡まってくる。

若い世代みたいに「世代」で区切れない。
ママ友や娘の歳で話の内容が変わってきたりもするからだ。
職業も重要だ。専業主婦なのか、働いているのか、定年退職前なのか、再就職なのか、そこの職場の構成はどうなのかによってもずいぶん変わる。収入が沢山あるのか、ないのか、それでも変わってくる。

とはいえ、そういうのをきちんと分類していくと意外と10パターンくらいに収束する気がしている。

今まで、1000名以上の(会員数は5000名を越えているので、会ってしゃべっているのは1000名は超えてると思います)シニア層をここ10年で見てきて、変わらないこと(根底部分)・変わったこと(表層部分)いろいろありますが、なんとなくパターンにはあてはまるなあと思っている。
#とはいえ、そのパターンに固執するとあとでどんでん返しに会うこともあるので固執しないようにしていますが。

なので、シニア層の消費行動を考えるときに、年代だけとか、趣味を持っているか持っていないかだけとか、画一的に分けるんじゃなくて、どこからの影響力が強いかを考えるのはとても重要だと思う。


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iPad がすごい。(iPadと高齢者)

iPadがすごい。

ケータイとか最近持ち歩き始めて、PCはあまり使えずに、機械音痴と自称している人が「私でもiPadはできそうな気がする」という。

高齢者向けに色々なものが優しくなっているというのに、若者にも受けるiPadが高齢者に受けるというのはどういうことだろう。

iPadが見せた「使える」「使って楽しそう」「私でも出来そう」の壁は「機械が苦手」の気持ちをひらりと飛び越えた。

さらに、それが「高齢者向け」の商品ではない。

我が家の目の前に住むおばさまも(確か70歳近いはず)、本日パソコン教室の受付にいらした80歳近いおばさまも、「パソコンとiPadどちらがいいかしら」と相談してくる。

もう、iPadにジェラシーを感じざるを得ない。

今まで一生懸命おしゃれして、御化粧して、あなた好みのオンナになったというのに、とんでもないところから「とんでもない」人が現れてあなたの心を盗んでいった、って感じの演歌を勝手に妄想の中で歌う。(メロディはない)

なぜ、この「とんでもない」ができたのだろう?

いままで、携帯ですら高齢者には普及するのに多少時間がかかり、電子書籍?とんでもない、機械嫌い!という方々が「入院した時に本を持って行くより楽そうだし」という。

いったい、これはなんなんだ?

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情報のリアル感

「インターネット」が発達したら、情報はどんどん平準化し、地方と都会の差なんてなくなると思っていた。
しかし、パソコン教室のフランチャイズを各地に展開していると、その土地の特色というのもあるが、地方に行くほど、「パソコンは無理」と言う人が多くなる。

そして、教室を開くオーナーさんにも言われる。
「東京は進んでいますから、進んでいるお客さんも多いかもしれませんが、地方は全然ですよ。」
(これに関しては異議があるが、地方は遅れていると思う人も多いのは事実)

実際には、ネット上には、同じ情報が流れている。

なのに、伝わり方が違う。同じニュースが流れていて、受け止めることができるが、地方の方が受け止めるのがやや遅い気がする。
ニュースだって、テレビだって、基本的には同じニュースが流れていても、そこに差ができている。それは、なんなのだろう?

シニア層を見ていると、同じような「差」を感じる。
東京に住んでいて、同じ時間を過ごしていて、インターネットをやっている人なら同じ情報を受けられるのに、差がある。

その根幹はなんなのだろう?


ゴールデンウィーク中に自分が出した、一つの答えは「情報のリアル感」であった。

インターネットも、テレビも、都会であればその情報を確認できる。その話題をしている人がいる。話題のものを持っている人がいる。
地方だと、情報は流れているが、どうも対岸の火事で、実感がないからなのかもしれない。
たとえば、テレビであれば、知っている街で、知っている商品が売っている。それがリアル。
遠いところ、行ったことがないところで売っているものは「事実」だが、それ以上ではない。そう、他人事。「リアル」ではない。

色々な人を見ていると、定年退職した後(つまり、社会から少し離れた後)には情報からリアルが徐々に失われているような気がする。

先日、定年退職して悠々自適のKさんが、「会社に行かないと新しい情報が入らなくてね。ここが唯一の情報源だよ。はははははは~」と仰っていた。
会社にいるということは、嫌でも、新しい情報が目に触れて、「オレは機械音痴なんだYO」と強がっていても、PCから、機械から逃れることはできない。

それが、「自由」になると、触らなくていい。触るのが面倒であれば触らない。

そうして、徐々に「情報のリアル」から遠ざかる。
新しい商品を見ても他人事に見える。楽しい!と言っている人が他人に見える。それで焦るから記事を読む。
新しいウェブサービスも、Twitterも、「新聞で読んでテレビで見る」他人事なのかもしれない。
そして、リアルじゃない情報や商品に、多くのシニアは「ふーん」で通り過ぎてしまう。

リアルに感じさせること。それがシニア層に受け入れられる、地方にも発展するキーワードだと思う。そして、リアルがない情報は、どんどん感度格差を作っていくのだろうなあと、ふと思った。

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シニア化

今年もシニアビジネスのお手伝いをするとともに、「ウェブを使いたい人がストレスなく使えること」が「難しいこと」や「予算がある会社だけがやること」「自分にはまだ不必要」ではなく、当たり前に、身近に感じられるようになるよう、皆様にユーザー視点をお届けできればと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


さて。

正月休み、というのは非常に怖いものです。
毎日通っていらっしゃる方が1週間パソコンに触らなかったりする週間でもあるので。

☆年末年始の休業の後、少なくないシニア層が「あれどっから電源入れるの???」「ワードとエクセルってどう違うんだっけ」「リムーバブルディスクってマイドキュメントのことだっけ」の浦島太郎状態。思い出すまでには若い方よりも少し時間がかかる。

☆教室からお送りした年賀状を見て「また復活しよう!」とお教室に戻られた方もいらっしゃる。
お通いになっていない間に、自分がしなくてはいけないことだけをしている場合には(殆どそうですが)、例えば、「新年だから去年も作った××を作ろう!」等という時にはすっかり作り方を忘れている。(でも、やったことは覚えている。)


そんなシニア層を見ていて、指導していて、シニア層と若い子の大きな違い(シニア化した若い方、シニアだけど若い方)は「一歩踏み込める」かどうかの違いだなあと感じる。

例えば、ウェブサイトを見ながら、クリックしたら自分が思っていたものが出なかったとしよう。

シニア・シニア化した方々は「あー!違う」と戻るボタンをクリックする、もしくは閉じる。

若い方・若い方と同じようなことが出来る方は、「ん?なんでだ?」と一呼吸置いてから、他の部分をクリックしたり、他の場所を探すこともできる。


シニア化すると、失敗を自分の中に受け入れることがすぐにできない。

というのも、「できないに違いない」という気持ちが先にあるため、一つのちょっとしたミス(ミスともいえないミス)で「もう辞めた!」「やっぱりできない!」と思ってしまうためのようだ。

先日、「パソコンを始めたい」という方から電話があったのだが、その方も「きっとできないに違いない」「私は年だからできないに違いない」をひたすら繰り返していらした。

「できないに違いない」は、出来なかった時の言い訳(ほーらね、やっぱりできないと思っていたからできなかったじゃん)となり、自分自身は「できなかったことに対する傷つき感」から守られる。

しかし、「できないに違いない」と思い、何か起きた時にすぐに辞めてしまう、あきらめてしまうことがシニア化の第一歩なんだと、新年明けにいらしているシニア層を観察しながら思った。

しかし、シニア化は避けられない。私も、確実にシニア化している。

そして、色々なサービスの対象者もそのサービスの歴史とともに高齢化している。(一緒に年をとっている)そして、高齢化とともに、多くの方が「シニア化」している。

だからこそ、お客さまも、サービス提供者側も、お互いの心の「シニア化」を意識しながら、顧客対応をしていかなくてはいけないのだと思う。

例えば、ページを追加したときに、解りやすいタイトル名にするとか、ページが表示されたときになんのページかすぐに解るようにするとか、そういうことだ。

私たちは、あきらめやすいシニア化された方々に「あきらめたら そこで試合終了ですよ…?」(By スラムダンクの安西監督)とか「今より若い時はないのですから、始めたいと思ったらとりあえず、失敗してもいいからやってみた方がいいですよ」とメッセージを送っているのですが、それで伝わる方、伝わらない方、色々・・・

高齢になるとできないことが増えていきます。なので、できないことが増えてきた時に切れたり、諦めたりしないで、老いを受け入れて「人の5倍努力しないと新しいことは得られない」という考えを老いた方に持ってほしいです。

もちろん、老いることで経験は積まれていきます。しかし、新しいことをはじめよう!と思う時は、今まで経験してきたのは別の人間で、これからは新・キラキラ自分に変わるんだ!という気持ちも大切です。経験に固執せず、経験を生かして新しいことを十分に楽しむ、そんな老後を迎えたいですね。

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