頭で覚える、ではなく、体が覚える

合気道を昔ならっていた。
習っていた、というほどではない。
少し、見てみた、が、正しい。

女子大生生活をエンジョイすべく、合気道からは離れてしまったが
習っていた時に感じたことが、最近とても大切に思えるようになってきたのでメモ。


・頭で覚えるのではなく、体で覚える
色々なコネを使って(笑)白帯ながら最高段位のY先生につくことができた。
(本来なら、その先生は白帯は決して教えない)
別の道場の初心者コースにも通っていたのだが、
月2回だけ、その先生に習った。

Y先生から習ったことは、とにかく、受け身。
有段者が演武しているよこで、私はひたすら受け身。
初心者コースでももちろん受け身も習うが、先生はその姿を見て「固い」

とにかく、まるく、まるくなるように、
ひたすら受け身の練習。

そして体で覚える。

頭で覚えたものは忘れる。だから、体で覚える。
何度も、受け身の練習。

・相手の力を利用する
Y先生の技は、本当に美しくて、知らない間に人が倒れていく。
すっごい簡単に見える。
誰でも出来そうに見える。
しかし、実際にやってみると、相手の力に翻弄される。

だから、とにかく、真正面から向かいすぎない。
力を抜く。

・まるくまるく
円は美しい。円を意識する。
美しい円を描ければ、続く。

結局辞めてしまい、先生もご逝去されたので
それ以降はやっていないが、
最近、とみに思う。


・先に進む違和感
完璧にできてから次の技にいくのではなく、
バウムクーヘンのように、なんどもなんども練習する。(体で覚える)
だから、重ねるのが重要。

教えていると「次に進みたい」という要望を受けるが、
バウムクーヘンのように重ねて重ねて覚えてほしい。

そうしたら、いつか、できるようになる。
学習は記憶ではない。
だが、それを伝えるのはとても難しい。

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脳内恋愛相談

昨日、喫茶店でコーシーを飲んでいたら、恋愛相談を受けている人がいた。
私も脳内親友になってみて、その相談に乗ってみた。
(回答は脳内で、話だけ聞いている)

彼氏と付き合っていけるかどうかなどの話をしていたが、
それは、今、彼女が抱えている「問題だと思っていること」が問題なのかな、という気がしてきた。


真実の問題は何か
 ∟人は思い込みにより、困っていることに気づきにくい

∟人が「本当に困っていること」は、観察が有効。
  ∟真実困っていることについて聞いても「解らないものには答えられない」
∟困っていることに対して近視眼的になり、真実の判断ができない
∟好みの意見しか耳を傾けない


では、私は脳内親友として、彼女にどういえばいいだろうか。

あまり恋愛を相談されることはないのだが
少ない事例を思い出す。

私はノートを取り出して、何が問題で、どう解決すればいいのかなどを
一緒に考えていこうとしたが
「なんか違う」と言われた。
相談の回答に「冷静」は必要ない。何が必要なのか?


「教える」ということは「使えるようになる」ということ
∟答えることは、伝えることではない。
∟答えを教えるのではなく、式の立て方を教える

しかし、それは、多分、伝わらない。

何をしたらいいのか、を聞きたい相談者と
その質問があっているかどうか考える脳内相談受け者。

その溝は深い。

まぁ、全て、脳内の話。

だれか、私に、恋愛相談をしてくれないかな。

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教えるということ

今度は教える立場からいろいろ考える。


「教える」というのは、わかっていないことに気付くことだと思う。
決して教科書を読むことではない。

だから、よく解らない人が教えようとしても、「解っていない事」に気付けないから、うまく伝わらない。

教えることを考えないと、教えることはうまくならない。
自分でも初心者くらい教えられるという人は、たぶん、教えられない

初心者ほど教えるのに難しい人はいない。
共通概念がない、解るという意味が解らない。
答えがあっていればいいのではなくて
解き方が合わないと応用が利かないが
初心者は焦ってしまうので、答えだけ帳尻を合わせようとする

だから、混乱する。

習っている人はわかっているかどうかの判断が自分ではできない。だから、これは、教える人がしなくてはいけない。

となると、e-learningの限界がある。

映像だけ見て理解できるのは
解っている人で
解らない人は、自分が何で躓いているのかわからないので
ワカラナイ。

ふむ、今からやろうとしている通信講座で
この点をどうクリアするかが課題だ。

追記、

つまり、人の仕事は観察だ、ということだ。
分析の傾向は見えても観察は人にしかできない。のか?
教えるというのも、ただ教科書を読むのではなく
相手の観察を含めて教えるという行為ができるのだと思う。

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困っていることに気付くことは難しい

アンケートの集計をしながら
人は大して困っていないし
困るということは、気づきなんだな、ということを認識した。


たとえば、私は陶芸を5年近くやっているが
上達していない。(きっぱり)
だが、困らない。
困らない程度にしかやっていない。

困らないというのは、上昇志向がないんだ、ということだ。
困るというのは、改善をしたいと思う気持ちなんだ。
もしくは、
困るというのは、今やっていることができなくなるということだ。

今日のお客様は
今までやってきたことができなくなったので「困った」

でも、もっといいようにやりたいとは思わない。

上手くできなかったら回避しよう
そうすれば「困る」から逃げられる。

汚いソースコード書いても困らない。
だって、どうにか動いているから。

人は、あんまり困ってない。

シニアも、正直、あんまり困ってない。

出来る人から見ると、とても困っているように見えるが
本人は困ってない。

困ってるでしょ、と声をかけられても
意味が解らない。

ということを深く深く考えさせられた。
原点から見直さねばならぬ。

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学びの手順

自分もいろいろ、色々な学校に行ったが
上手くなる人や楽しい学びについて
ちょいとおもったことをメモしておこう。

学びの手順

・型を覚える
 基本形を考えずにでるようにする
 解らないことをおびえない
 すぐに覚えようとしない
 まず手を動かす
 覚えられないことを恐れない
 嫌いにならない分量を練習する(性格を鑑みる)

・意味を考える
 基本形を理解する
 すぐに助けてもらわない
 考えながら復習していく
 過程を意識する(正解を求めすぎない)
 夢を持つ
 少し難しい課題を解いていく

・順番に応用していく
 キレイを意識する

・教えられやすい生徒になる

教える側
・相手の希望に惑わされない
 真実のゴールは何か
・感覚を共有する
 できれば、相手の体験に沿う説明を行う
・ドの感覚を使うかを確認する

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あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

当ブログは本年はゆるくゆるく発信してまいります。
(昨年はほとんど発信してないので)

気付いたことのメモ書きのようなものですので、
御気の向いた時に時折「おお、生きてる」とご覧いただければ幸いです。

さて、
私事ですが、
年末年始で、タイ(バコク・チェンマイ)に行って参りました。

色々な店で、色々な人と話したり、
屋台で売り子を手伝ったり(笑)
私のクラウドイングリッシュ(よく分からない、雲のような英語)で
色々な体験をしてまいりました。

売り子体験の中で
色々な改善点を発見し、
それを直すだけでかなりの売上が変わるという事も実感したりもしました。
(屋台のお兄さんに喜ばれました。)

それと同時に
発展性がある市場と言うのは
改善点がたくさんありまくることなんだな、と。

商品の並べ方、
御客様への声のかけ方
アフターサービス(?)
雰囲気の創出
少しの改善で大きく変わる。
分かり易い改善の余地があるから成長できる。

伸びている市場と言うのは、そういうことかと。

一方、日本は、色々なものがすでに改善されていて
あとは、機能を付けたり、値段で勝負したりとなってしまっているように見える。

うん、だから、今までのような「改善」で、売れる時代は終わったんだ。

これからは、「スペック」じゃなくて
「雰囲気美人」の時代なんじゃないかと。

雰囲気美人がモテる時代がはじまる。
「モノ」に飽きているシニア層は
「雰囲気」を求めている。

新年の抱負らしきものをちょいと。

帰ってからNHKを見ていたら
解説員のおじ様たちが面白い居酒屋話のような話し合いをしていた。

それを横目で見ながら

あーーーーーーー
大人があの頃はとか、過去に生きるんじゃなくて
いまを生きる大人が沢山になれば
消費って活性化するんだなー

と、思った。

いまを楽しめること。
楽しさの演出。

どこよりも早く高齢化が進む国で
福祉とかだけではなく、
「楽しむ生き方」の模範となるような高齢化社会を
提案して、
楽しい未来を創る仕掛けをつくること。
それが、本年の目標です。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年も、たくさんの方とお会いできると嬉しいです。
お気軽にお声掛け下さい。
おもしろいこと、万歳。

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ITリテラシのこと。

ITリテラシが高いとか、低いとかって
どうやって指標を設けているんだろう、と常々思う。

「シニア層のITリテラシがあがってきている」

とか、

「ITリテラシが低い人にリーチ」

とか、そういうご相談をいただくが
その度に、頭を抱えてしまう。

まず、私が「リテラシが高い=プロ」と思っているのは

やってはいけないこと、
できないこと、
無理だという限界を知っていること

だと思っている。

では、低いとは?

自分ではITリテラシが高いと思っている人がいて、
聞くと、その理由は「インターネットで困っていないから」

その割に、仲間内で楽しむちょっとしたワルイコトを
平気でFBにアップしたりしてしまったり、
思い込みで間違ったネットの知識を披露していたり、
うーん、それは、リテラシが高いと言えるのか、

と悩む。

でも、ご本人は高いという。
一度、間違いを指摘したことがあるが、
自分は解っているから大丈夫的な返信を頂き
まあ、いっかー。と、そのまま放置してしまった。

「自分はITリテラシが低い」
というシニアも、買い物だけは問題ない。
だが、自分でITリテラシが低いという意識があるために
クレジットカードは使わない。
何かあったら怖いから。



全然関係ないが、
ウェブ閲覧の方法は、作っている人と作っていない人で見方が変わる。
アイトラッキングをやると顕著に出る。
作った人は、情報がどこにあるか知っている。
作っていない人は、情報がどこにあるか推測すらできない。

では、作ってない人を全体的にITリテラシwが低いと言えるのか


保護者会の資料作成を手伝っていた時に
ネット関係の某企業の方が講演をしていて
その時の質疑応答を読んだたら
「ウィルス対策ソフトを入れたら、パソコンが遅くなったのですが、ウィルスが入ったのでしょうか。怖くてそれ以降パソコン使ってません」的な質問があり

リテラシとか、そういう枠を一歩超えて
なんか、違う指標を、そして、明確になる指標を作り
そこから教育していく必要があるなーってちょっと思った。


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若者のパソコン離れ

何でもかんでも離れてしまう世の中になったなあ(棒読み)

若者の車離れ、がよく言われる。
かくいう私も、運転が下手すぎて、日本の平和を守るために
運転をしないでいる。

しかし、そういう話ではない。

最近、弊社に応募する学生アルバイト生のスキルが何となく変わってきている。

昔は、パソコンが好きで好きでたまらない人が応募していたのが
(もちろんそうでない人もたくさんいたが、好きでたまらない人もいた)

最近は、そうではない。

パソコンは手段だから、と言われたら、その通りである。

しかし、パソコン好きとしては
新しいフリーソフト試したり、増強したり、箱あけてわくわくしたり、
少しでも早くしようとレジストリいじったり
色々なことができる楽しさ、作る楽しさ、知る楽しさ、壊す楽しさがあると思っている。

まあ、その楽しさは人それぞれだからなんでもいい。

昔は、そういう私と同じ楽しさを感じる学生がたくさんいた。

しかし、最近は少ない。

話を車に戻す。

昔、すっごい車好きのおじさんと話していた。
その人はエンジン替えたり(?)ドア替えたり(?)
車のカスタマイズ(?)がとても楽しいらしい。
車が大好きで、ヤフオクで車のパーツ(?)を買っているとのこと。

(?)が多いのは、まったく私が理解できていないので、合っているかどうかわからないためである。

私なんぞは、車は走ればいい、エンジンとかよく解らない。

その話と、パソコンの話、
実は「製品の完成度による消費者の無関心」という共通点があるんじゃないかな。

今は、パソコンも車も「手段」であり
利用者はそこに「自分で進まなくちゃいけない」感がある。

昔は、パソコンも車も「カスタマイズ楽しいw」人もいて
その人たちがいろいろ引っ張ってきた気がする。

うーん、何が言いたいか。

つまり、
現在の完成品は「モノ」に対するワクワク感、発掘感が少なくなっていて
楽しむための努力(コンテンツ的なサムシング)は自分で開発しなくてはいけない。

だから、最低限でいい。
できればいい。

その製品が不完全だった時代は
それをいじることに熱中していて、他の人よりもより完成に近いモノを求めて自慢しあう。

だから、だから、
若者の車離れとかって
車が楽しくないんじゃなくて、
製品が成熟しているがゆえに
楽しみをモノに見いだせないんじゃないかなって思う。

成熟市場と言われるが
物が余っているんじゃなくて
完成品が多すぎるだけなんじゃないかと。


と、ふと。

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子どもの楽しいこと

子どもが楽しいことを書き出してみよう。

・褒められること
・面倒を見る事(お姉さんぶるとか、おにいさんぶるとか)
・買い食いとかの秘密を持つこと
・くじびきとか、あたるもの
・スタンプとか集めるもの
→結果が見えやすいもの

・新しいことを知る事

・冒険
・新しい世界
→守られているが故かなあ、
→大人になると、それ知ってるー、と、知ってることに当てはめようとか、経験則を持ち出したりするなあ

キーワード
・お姫様
・手作り
・競争
・かわいい
・体を動かす(ダンスとか)

大人になって、経験則とか
失敗しないことを覚えるようになると
新しい挑戦を
「ああ、それ、あの時やったけど」とやらなくなる。

「感覚が若い」とはどういうことだろうか。

見た目の若さとは違うかな

見た目への若さはすごく皆さん熱心だけど
心への若さはイマイチ熱心ではない。

それは、たぶん、自分は若いと思っているからだろう。

しかし、若者と並べてみると、
心の老化はすごい。

なるほど、心の老化に気づいてないからこそ
気づきやすい見た目の老化対策を気にするのか。

しかし、あなたの心、老化してますよといっても
たぶん、ヒットしないだろう。

心が老化している!ということに気付くようなワードが必要だ。
そして、老化を抑えることが、子ども時代のワクワクにつながるということを
イメージさせる何かが必要だ。

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若さへの嫉妬

今、私は生まれて初めて
若さへの嫉妬という感情を持ったので、メモ。

若さが持っているもの
・清々しいほどの根拠のない自信
・希望、未来
・恐れることがないこと
・いいわけがないこと
・背伸び感

それをすべて持ち備えている人に会い
おお、若さとはこういうものか、
と感激した。

年を取ると
・分別臭くなる
→できない言い訳から探す
・できないいいわけをやらない言い訳にする
・いつかやりたいなーと思っているのよと言いつつ、今を守るためにやらない

私が彼に会って、思ったことは
「彼は未来にあふれている」

では、一方で私に未来がないかといえばそんなことはない。
少なくとも、会社の長として、
やりたいことはできるし、
なりたい未来に近づけることもできる。

なのに、私は思った。
彼は、未来にあふれている。

すごくうれしくなった。

その一方で、
高齢化社会を迎えた時に
このあふれ出る希望や若さがない未来って
どんな感じなんだろう、

おお、若いってすっごい!っていうキラキラした
希望が薄くなる社会って
少しテコ入れしなくちゃ、
もっともっと、未来をキラキラさせなくちゃ、

と思うのでありました。

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