一般化する商品

この暑い中、会社のクーラーが壊れました。
窓全開、エコライフを楽しんでおります。ええ。
チーム-6とかってレベルではないですね。チーム常温。

さて、iPhoneが売り出されましたねえ。
#私はDoCoMoUserかつPanasonicしか使わないので、とりあえず遠巻きに見てますが。

今回のiPhone、昔の自動車電話が売り出されたころのことを思い出します。

自動車電話
1985年の電電公社の民営化などの通信自由化政策が行われ、1988年以降、新規参入第一陣として、旧IDO・DDIセルラーグループ(現au)が自動車電話事業を開始。

シニア層にヒアリングをしていると、意外と自動車電話を使っていた人が多い。
そういう人はパソコンももちろんウィンドウズ95から持っている。

いわゆる新しい物好きな人たち。

じゃあ、彼らがその後、それらの機械を使いこなしているかと言うと、全然そんなことはない。
買ったまま、インテリアだったり、とりあえず人に自慢したり、それで満足なのだ。
人にすごいね、って言ってもらえることが目的なのである。

Nさんもそういう感じ。
何十年前にパソコンを買ったという。
で、本人は未だにパソコンは使っていない。
「買ったんだよねー。当時はねー。大きくて大変でねー」

「で、今は?」

「うーん、今のパソコンはねえ。なんとなくねえ。使ってないんだよね」

「もしかして、自動車電話とか使ってました?」

「うん。持ってたよ。あの頃は大きくてねえ」

そういう新しい物好きな人が言わば見栄で買う商品は、見栄だからこそ人に自慢してそして普及する。
しかし、当時の肝は「バブリーな感じ」であって、その商品自体は考えなければ使えないものではない。
多少使いづらくても、(彼らが若かったせいか)気にしない。
持っていて、銀座とかに行って「やーん、すっごーい」と言われる、それも価値だったんじゃなかろうか。

さて、iPhone。
私が少し気になるのは、今iPhoneを買っている人がシニア層になった時に「おれの時代はiPhoneがあってな!」とやっているのかなあと、今のシニア層と同じ感覚なのかなーってちょっと思うこと。いや、もしかしたら、反対にいつも新しいものを追い求め、来年には「iPhone?はぁ?随分昔の話だね」となるかもしれない。

であるとしたら、小難しい対象になってしまうiPhoneは一部の世界でしか通用しないだろうし。一方で六本木とかでお姉さんが持っている人を見て目がハートになるような感じであれば普及するのかなあ。
最近思うのが、一部の世界でもてはやされるもの、知らないと馬鹿にされるようなものはなかなか流行らないし、一部の世界からもてはやされず、あまり頭を使わなくても操作できるのは意外とキチンと流行る。

その商品を通してコミュニケーションが外に開かれる商品はシニアにも到達するし、その商品の周りだけでコミュニケーションが閉じられているものはなかなか周りに到達しない。そんな感じです。

水曜日の夜にクーラーなおるようです。うーん。エコエコ。

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難しいの線引き

「難しいことはやりたくないんです」とF女史が言う。
私はこの手のせりふを聞くと少しむっとする。
F女史は50歳代後半、自営のウェブサイトを作りたいとうちの教室に通っている。

現在、彼女が抱えている「難しい」はフォルダについてである。
ウェブサイトを作ったがフォルダがめちゃくちゃ。ファイルがデスクトップにあったり、マイドキュメントにあったり、USBメモリにあったり・・・。

使える人には信じられない話だろうが、初心者に(初心者でなくても)ファイルとフォルダの関係を感じさせるのは非常に困難である。
私が教える職業に就いたときに、どうしてそんなにみんなフォルダの概念がないのか解らなかった。

ちなみに、昨日いらしたT女史(70歳代後半)は「私の書類はワードの中に入っている」を繰り返し、新人のSが涙目になっていた。「僕の言いたいことが、うまく伝わらないんです・・・」彼は入って日が浅いので、全く解っていないということがどういうことなのかわかっていない。
自動車に軽ガソリン?を入れて「ばかばか」と一時期盛り上がっていたけど、正直、車に乗らない・仕組みが解らない私にとっては、なぜガソリンに種類があるのかすら解らない。っていうか、排気量というのをずっとガソリンの量だと思っていた。意味が解っていないということは、解っている人の考えを超越して意味が解らないのだ。私が車についての質問をすると、質問を受けた人は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして「意味が解らない」というが、意味が解らないことすらも私は解らない。ちなみに解説を受けても理解できないので、車に対する質問をするのを出来る限り控えている。車は前に進めばいいのよ。だから私は上質を知る人のゴールド免許。(というなの身分証明。乗る気なし)

車の話で脱線してしまったが、パソコンが使いやすくなったおかげで、基本がわからなくてもなんとなく使えてしまう人が増えている。それはうれしい話とするべきところなのであるが、少し「応用」をしようとしたときに直ぐに爆発する。応用というのは、解る人にとってはたいしたことじゃないこと、どちらかというと、それは基礎だ!と突っ込みたくなるようなことが、とてもとても難しい。

「難しいことはしたくないんです。すごく簡単でいいんです。」

じゃあ、簡単がいいのなら、ここまでの制限がありますよ。ということを伝える。簡単と努力は少しばかりトレードオフだ。
「そんなことは別に興味がないんです。やりたいことはコレとアレ。でも、難しいんだったらやりたくない」

「人によって難しいの定義が違います。」と私は言ってみた。「今、なさりたいことは基本部分なのですが、とても重要で、基礎を勉強する必要がありますよ。」
「そういう難しそうなことは嫌なの」

・・・基礎が難しいか。

料理を作りたいです。包丁の握り方よりも最初から宮廷料理を作りたいの。そんな感じ。
包丁の握り方?プロになるんじゃないから別にいいの。そういう小難しそうなこと好きじゃないの。私はただ単に、手作りの蕎麦を打ちたいのよ!

#最近、こういう人多いなあ。それは商機なのだろうが、やっぱりなんだか納得できない。

彼らが難しいと思うのはどこなんだろう?
混乱を引き起こすのは何なんだろう?
そういう視点で彼らを見る。

・手順が複雑なこと(手順がスムーズにいくのではなくて、いくつか分岐があると混乱する模様)
・似たようなものがいくつもあること(例えば、ツールバーのボタン)
・基礎という香りがする言葉(基礎ってそんなに嫌い?)

男女でも違うようだ。
今、横で講習会をやっているのだが、今回は珍しく男性が多い。
エクセルの基礎をやっているようだが、聞いているといつもとは違う質問が飛び出る。
講師もなにげなくいつもより理屈っぽく説明している気がする。(いつもはギャグのほうが多い)

例えば、エクセルの計算を見た瞬間、それが2+3であれ、プシューと頭から湯気を出す人がいる。
それは手順が複雑だとかそういうのではないなあ。

以前、とある新製品をお試しで使っていただくのに、箱を渡した瞬間「わたし、こんな大きいハコ無理!!!」と絶叫した人がいた。箱。箱ですよ。ただの箱。何が無理なんだ。大きいといっても、私が昔バレンタインにあげた伝説の鳩サブレ50枚の箱よりは断然小さい。(女性の皆様、バレンタインに鳩サブレ50枚、結構評判良かったですよ。あんなにネタになったものは過去にももらったことがないと褒められました。KY)

難しいと感じる線引き、当分これを観察するだけで楽しめそうです。

ところで、第1回大人数学塾開催いたしました。
公式とか覚えていなくても大丈夫!
例えば、abcdという数字があったとき、a+b+c+dが3の倍数のとき、abcdが3で割り切れることを証明せよ。などの問題です。答えを出してチェックしてもらい、回答に矛盾があると容赦なくやり直し、です。(正解は直ぐには渡されません)とんちっぽくって爽快感を味わえます。出席者の皆さんも少し興奮状態でした。数学楽しい。

次回は6月12日、松井の誕生日です。ご興味のある方はご連絡下さい。

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初心者にパソコンを教えるコツ

どこかで「初心者にパソコン教えるの難しいー」とあったので、教える人として多少のコツ。
とはいえ、どうしてもシニア・シルバー層仕様なのはお許しを。
今、私が想定しているのは超初心者のシニアの方。

[基本編]
1)相手が何を知りたいのかをきちんと聞くこと
これが意外とできていないので、教える側と教えられる側の溝が大きいことに気づかず、教え続けて意味不明な言葉を垂れ流している場合が多い。相手の知りたいことを決め付けない。

2)どこまで理解しているのかを把握する
相手のレベルを先に探る。これができないと教えることは出来ない。っていうか、疲れる。

[説明編]
1)本当に解ってほしい場合には、概念を説明する
的確なものの例えを使う

2)言葉を多く使いすぎない
説明することをピンポイントに決めてから話し始める。途中でたとえ話を変えたりすると混乱の元。
あと、言葉を多くすれば多くするほど相手は混乱する。最短経路を先に見つけてから話す

3)難しい言葉を使わない
カタカナをきいた瞬間にパニックになる人が多いので、カタカナは使わない

4)擬音語を使う
擬音語は理解を促進させる。クリックしてね、ではなく、カチッと押してね。ぽちっとな。

5)とにかくその場をしのぎたいときは答えを端的に、方法を話す。
今忙しいなあとか、この人は、とりあえず答えだけ知りたいんだなあとか、そういう時は、手順だけを説明する。あまり役には立たない。直ぐに忘れられるが、考えるストレス耐性が低い人にはこれをする。好きではない。

6)調子に乗っていっぱい教えない
おおー!理解してもらえた、すごい、この人解った!というときがある。相手の目がきらきらとする瞬間だ。(これが一番楽しい)。そのときに調子に乗って次のこととか、応用技を教えると、一気に混乱して目がうつろになり、元の木阿弥。

7)概念を理解してもらうときは絵を描く
私は絵を描くのが好きなので(とはいえ、ただの図解)、裏紙に図解することが多い。概念を示す。言葉よりも絵が良い。

ついでに、うちのスタッフにも聞いてみた
全員「初心者ってどのレベルっすか」と聞いてきたのを見ると、だよねー、初心者っていってもいろいろだよねと、納得。とりあえず、いくつかに分類。

■「マウス初めてですー!」という人には?
S)怖がらせない。
N)これから何が出来るかを把握させる

「ワードできます」という人には?
S)できなかったとしても落ち着く。焦らせない。
N)本当はどのくらいのレベルなのかを先に探る。どこを見ているのかイメージする。(団体講習の時には)一人一人の画面を指すことはできないので、位置情報を詳しく言うことにしている
P)概念を把握しているかを確かめる

だそうです。

若い方に教えるのはものすごく吸収力が良すぎて、なんだかよく解らんとです。
時折若い子に教えるのですが、「えーーーーーーもう解っちゃったの!」「1回の説明で解っちゃったの?」ということが多いので、もしかしたら参考にならないかもしれませんが。

ちなみに、私はまさか自分が教えるという職業に就くと思わなかったのと、結構いらっちなので、できるだけ、いかに、早く覚えてもらえるか、理解してもらえるかということを昔から考えています。(その結果がフランチャイズ展開なんですけど) 教えるというのは楽しいですよね。自分の説明能力が問われます。相手の視点に立って説明する、そんな基本的なことが一番重要なんですが。

ただ、お腹がすいているときに4回同じ質問されるとさすがに我慢が切れるかも。って思うことがあります。(笑)

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価値観

58歳の某女史が言った。

「最近のおじさんって、ケータイとか、使えないのよね。パソコンでしかメールできないんですって。ださいわよね」


ガーン。

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考えるの、お嫌いですか。

あっというまに3月も終わり。
桜も満開@東京、つらい花粉の季節もそろそろ終わりです♪

さて、当社で受けていた新宿区の講習会もワンクールがそろそろ終わります。
延べ600名とか、もう数え切れない方にお越しいただき、めまぐるしい1年でした。

今日は今年度最後の授業です。

授業の最初には自己紹介をします。

「○○です。覚えても直ぐに忘れちゃいます。」
「××です。覚えることはあきらめました。楽しめればうれしいです」

そんな自己紹介。
そんな中、今日の人
「私は後期高齢者になったので、考えるのが億劫です。」

考えるのが嫌です。
歳をとったので勉強したくありません。

そんな言葉をよく聞く。

本当は、学ぶことはとても楽しいのに、多くの人は「考えたくない」という。
とあるユーザーテストをしていて、説明書を読んでいただくのだが、説明書、それもものすごく解りやすく描いたつもりなのに、文字を見た瞬間に「文字嫌いなんだよね。」

キャプチャだけを見ているので、応用が利かない。
例えばユーザー名を自分で決めましょう、と書いてあっても説明書のとおりにユーザー名を入れる。
なので、ユーザー名入力画面の画面キャプチャのところに mami と書いてあると、みんな、何も考えずに「mami」といれる。 なぜ?(結局、mami の部分は修正テープで消して、mamiと入れさせるのを止めました)

考えたくないは、考えないに通じる。

覚えるのがつらい、目が良く見えないのもつらい、考えるのがつらい、新しいことをするのがつらい。
余り考えずに楽しいことをしたい


自分に関係ないと思ったら、興味を持たない


Yahoo!の一面に出ていても 初音ミクを知らない。興味が無いから。若い子がやるんでしょ?自分には関係ない。
自分の生活に関係ない殺人事件はみんな知っている。読んでいる。「最近の子は怖いよね」「いつ危険が来るか解らないよね」だけど、難しそうな著作権問題とか、読まない。

使いやすさは、考えないでも操作できること、となるわけなのだけど、なんか腑に落ちない。
考えないで操作できて、直感的に使えて(つまり、そういうことだ)、いろいろな楽しみがその先に広がるのだけども、それでいろいろ人生が広くなることもあるだろうし、便利に情報を得られることも出来るし。

自分が高齢者ではないし、高齢化しないように気をつけているからこそ、高齢者の気持ちが解らない事がある。どうして考えたいと、勉強したいと思わないんだろう?

もちろん、すごく勉強好きな人もいる。努力している人もいる。
学ぶことって楽しいと、気づいてくださる方もいる。

でも、「考えるのがいや」という人のほうが多い、というのが雑感。
考えるの、お嫌いですか?でも、結構楽しいのに。学ぶってすごい楽しいのに。新しいこと始めるって、最初はつらいけど、できるようになれば本当に楽しいのに。

考えないでも使えるウェブサイトになるよう改善点を出しながら、なんか、モヤモヤしている私がいる。

#しかし、私も最近行動の高齢化が進んでいる。考える、新しい何かを始めよう。

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新聞とシニア

そろそろハッピーバレンタインな訳ですが、弊社では皆様にチョコレートを配っております♪(たいしたもんじゃないですが)
そして今日、「チョコだけにちょこっとプレゼントー♪」とオヤジギャグをリアルオヤジさまたちに言ってみたら皆に見事スルーされた寒い夜でございます。

さて、弊社がある高田馬場には「字が大きくて読みやすくなりました!」という某新聞の広告がどーんと貼ってある。

今日、とあるおじさまと話をしていて、新聞を読むかどうか、と言う話をしていた。
「新聞ねー、前は随分読んでたんだけど、もう、読むのが面倒でね。老眼になったし。」

字が大きいとかではなくて、字が並んでいる段階で彼らは読むのを「面倒」と思う。

文字が大きくなったとかではなく、半分以上図解した新聞が必要なんじゃないだろうか?


彼らと話していると「面倒くさい」という言葉が飛び交う。
面倒くさいからの脱却が、まずはシニア向け商品とかサービスに必須なんだと思う。

明日はバレンタイン本番!
朝から チョコっとだけチョコ~♪ とギャグを飛ばせると今からワクワクしてます♪

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新年のごあいさつ

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

◆感謝
新年明けに老化入門を駄文にゅうすさまに取り上げていただきましてありがとうございました。そこから派生していろいろな方がリンクしてくださったのですが、反応がみなさまそれぞれで楽しく拝見させていただきました。

★へぇー。という反応の20歳代。老化の道は遠いと感じているようです。しかし、少年老い易く学成り難し。光陰矢のごとし。老化はあなたのすぐそばに。いぇい。

★まだ大丈夫だもんっ。というのが老化を感じつつある30歳代~40歳代前半くらい?これとこれは当てはまるけど、でも大丈夫だもん。まだ大丈夫だもんっ。と自分に言い聞かせているようです。老化は目の前に。うふふふ。

★うーん、当てはまるけど、若くいるためにがんばろう。というのはある程度達観された「若くいられるための」達観とも言えましょう。そういう方々には申し上げましょう。男は80歳を過ぎてから。(笑)50歳代をどう遊ぶかで老後が決まります。頑張ってください。

よりよい老後を迎えるためのセミナーでも開こうかしら。もちろん、最後は若返りの壺を売りますけど。(時価)

◆パソコン離れ
年末に所用でアメリカ(サンディエゴ)に行っていたのですが、先方のご高齢の方もやはりパソコンには苦労しているみたいですね。コミュニティカレッジとでもいうのでしょうか、ある程度のご年齢に至った方は格安でそういう授業を受けられるようですが、基本コースは満員だそうです。生憎家電屋さんに寄る余裕がありませんでしたので、先方の普及具合などは知る由もありませんが、とあるコミュニティに参加させていただいたときに少しパソコンの話が出ていて、「いや、全然、むりむり」という会話が繰り広げられていたのを見ると、高齢ということに対してパソコンはまだ壁なんだなあと。

そして日本に帰ると「パソコンを使わないで印刷できます」「パソコン不要です」という広告がずらり。
パソコンは難しいの代名詞になりつつあるんでしょうか。女心と言えば変わりやすい、パソコンと言えば難しい。

ちなみに、アメリカの空港はほぼタッチパネルだのなんだので出来上がっています。私はそれにしばし感動しました。在米の従姉妹曰く、「アメリカは全部こんな感じ」なので、おお、これは高齢者にも使えるのかと思っていたのですが、彼らが使うのは従業員でした。高齢者の横にはみんなぴったりと従業員がおりました。

◆ユニバーサルデザインということ。
別に私どもはユニバーサルデザインを提唱しているわけではなく、高齢者にとって使いやすさというのを追及しているのですが、アメリカでしばし驚いたのは街中に車いすの方や、とにかく高齢者の方が多いこと。高齢者も歩くのが面倒になるとすぐにカートなどに乗る@ショッピングモール。人種がいろいろなので、いろいろな人がいることを受け入れる土壌が整っているんだなあと少しだけ感動しました。しかし、しかし、バーゲン会場でもなんでもとにかく高齢者の多いこと。そんな中、バーゲン会場の服は狂ったように床に投げ捨てられ、踏まれ、真黒に。それもびっくり。(私はXSなので、バーゲンでも比較的余っていた。ラッキー♪)
ついでにサンフランシスコにも寄ったのですが、ここも高齢者の方が普通に車いすに乗って生活を。
おお、すごいなあと感動しつつ、デパートが吹き抜けだらけで高所恐怖症の私は案の定腰を抜かしました。
高所恐怖症だって、一種の障がいなんだけどなあ。高い所とか、ガラス張り大嫌い。難しいですな。

◆今年もよろしくお願いいたします
年明けからバタバタしてしまい、ご挨拶が遅れました。
本年もよろしくお願いいたします。シニア層のできる限り現場レポートをしてまいります。
今年もブログを通じてたくさんの皆様にお会いできること、そして少々飲み友達が増えることを心より祈っております。(本当は普通の記事を書くつもりが挨拶が長くなったので次の記事にします。)

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年の瀬ですねえ

年の瀬ですね。
わが社の有するパソコン教室では、連日年賀状の嵐です。
嵐って言うと歌って踊るほうを思い出してしまうのは年の瀬だからでしょうか。(ただのミーハー?)

さて、年賀状シーズン。
1年に1回、教室にいらっしゃる人も沢山いらっしゃいます。

教室をはじめた6年前より(確か6年だったと思います。詳細は飲みすぎで?覚えてません)年賀状にメールアドレスを書く方がダントツ増えました。

ところがですよ。

メールアドレス書きたいという要望があるものの、

1)メールアドレスを覚えていない
2)メールアドレスが何か把握できていない

ということの多さ!

携帯電話の番号も自分に自分からかけることはしないから覚えていない。
という方が多い中
携帯電話はなぜか皆さん メニュー→ショートカット番号 を覚えている。
携帯で自分の番号を表示させる術を知っている。

しかーし。

メールアドレスは確認ができない。
「メール送ってください。そうすればわかるので」といおうものなら
FAXでメールアドレスが送られてくる。


http://www@usability4s.info

みたいな。

ちなみに、先日は ドメイン名のみ送られてきました。
だから・・・。だから・・・・。

へーい。へーい。と、FAXマシーンに呼びかけてみる。
送って欲しいのは紙ではない。神でもない。クリスマスなんて嫌いだ。
ちがうちがう。
メールを送ってください。そうすれば解るのに。


メールアドレスが手帳に書いてある場合もある。
そういう場合はたいてい間違っていると思ったほうがいい。
なぜか高齢者になるとJとGを間違える。
ジャイアンツのJはGなんですよ。と説得しても通じない
ジャニーズはJですが、ジャイアンツはGなんです。

たとえば、私のPrivateアドレスは mbg という文字を含むのですが、メモ帳に転記した瞬間に「mbj」になってしまう。

あとは、ピリオドじゃよくみえないから コロン でいいよね。とか。

よくないから。よくないっす。よくないっすよ!

ピリオドがなくなることもある。

たとえば  hogehoge@cocolog-niftycom
とか。


あとは、書き写すときに
Yahoo!ならば「yahuu」 とするひとの多いこと。


メールアドレスを間違えなく記載していただくために、私たちはどれだけがんばっているか。

年の瀬ですねえ。
忘年会が続きます、皆様くれぐれも体調にはお気をつけくださいまし。

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勝手な線引き

団塊世代向け・シニア向け、というサービスやら商品やらウェブやらが多くなってきた。
団塊世代がシニア向けといっても見向きもしないし、団塊世代向けといっても「ヘン」と思うことは有名な話。

なんせ彼らは自分のことを周りより若いと思っているし
なんせ彼らは自分のことをまさかシニアだとは思っていないし
どちらかというと「俺たちチョイ÷」おっと誤変換、「チョイワル」と思っている。

私の中では「チョイワルって40歳代のことじゃないのかなあ」と私の周りの素敵40歳代を思い浮かべているのだけれども。40歳代は素敵ですねえ。人生の酸いも甘いも知りかけた感じがとてもナイスです。50歳代の酸いをしってイチヌケタ感じとはちょっと違います。あ、完璧主観ですみません。

その、団塊世代をはじめとするシニア層が自分のことをシニア層だと思っていないことは頭で解かっている。
しかし、どういう感じなのかなあとなんとなく漠然と共感できずにいたのですが。

ところで、そろそろミソジになります。ミソジオーバー者には「たかが1日じゃないか」「ウェルカムミソジワールド」といわれますが、可愛い中学生には「うっそーサンジュッサイ!!」「ぎゃー。30歳で結婚してないの?」「見た目よりおばちゃんー」と言われる年であります。私の中でも心の中ではたかが1日、たかが30年、しかし、なんとなくそこに線がある。越えざるを得ない、しかし、そこを越えたら戻れない何か。

そんな中、Yahoo!で「30歳をすぎてからの・・・」という特集を発見してしまいました。
一瞬「カチーン」ときました。
なんだその、おばさん扱いは。
なんだその、あんたは20歳ワールドには戻れないよ的な扱いは。
っていうか、絶対そのコンテンツコドモがつくったでしょ
ミソジ前後の複雑な気持ちなんてわかってないでしょ

っていうか、なんで30歳って分けるのよー。私はまだ20歳代の延長なのにー


と、むかむかした瞬間に団塊世代の気持ちに少し近づいた気がしました。
ああ、そういう気分なんだなと。


私はコドモに対しても人間扱いをする様に昔から心がけているのですが(そうしてくれる大人が好きだったから)小学生は自分をコドモではないと思っている。特に女の子は。男の子は謎です。なので、子ども扱いをされると怒る。解かってないなあ。自分は充分大人なのにと思っている。

団塊世代はまだ自分は若者のちょっととうが立った感じだと思っている。男女ともに。なので、なぜ自分がシニア扱いをされるのか解からない。理解できない。自分はまだ若者の延長線なのに。

なんか、シニアビジネスってそこのヘンがポイントなんじゃないかと思う。

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考えたくない

「難しいことはイヤなの。」
「簡単に覚えたいの。」
「難しいことはいいの。ただ、写真の加工と年賀状と名刺作りとチラシ作りと簡単な名簿作りさえ出来ればいいのよ。だから簡単に教えてよ。」

少なくない方に言われる。
本当は少しずつ難しいことに挑戦して若返ったほうがいいのに、と思う。
実際、脳を使えばどんどん若返る。少しずつ挑戦できる。
でも、挑戦できる人は歳を取れば取るほど多くない。
「あと数年しかいないんだもん、数年後にはあの世でしょ?イヤだよ、いまさら頭使うなんて」と言う方も少なくない。

私が始めて真夏のデリー@インドにいたときに、それはそれは暑くて、考える事を放棄したくなった。
しかし、考える事を放棄すればそれは騙してくれと言っているようなものである。バックパックをしょった小さいカモが歩いているに過ぎない。お財布の中はわずかだったけど、それでも、カモはカモ。そして私はコロリと騙された。(さすがに3回もインドに行けば騙される事はなくなったけど、数多くの騙された人に会って来た。)

シニア層が「考えたくない」というせりふを聞くといつもインドのことを思い出す。
考えるのが面倒くさい、というのは多分、あんな感じなんだろうなと。

そんな中、昨日「R25」を読んでいたらこんな記事が合った。
「アタマがよいって どういうことだろう?」

「日常人は身体的努力をいやがるが、それにもまして、精神的努力を嫌うものである」

#もちろん、自分への戒めにもなる。

企業人としてはシニア層に使ってほしいのであれば、出来る限り考えなくて済むものを提供すべき。
解りやすい商品、解りやすいテキスト、解りやすい説明書、

時折、このことに対して哲学的に自問自答することはありますが、
サービス提供者の姿勢としては「考えさせない」。これに尽きると思います。
考えさせない、というのがどういうことなのか、考えるという事がどういうことなのか、シニア層の実際が知りたい場合には是非是非研修にお申し込みください。無料研修もありますので。(ただし、簡単な審査がありますが:冷やかしや目的がはっきりしていない方をお断りするものです。技術者、研究者、デザイナーさんのご応募をお待ちしています。)→ウェブマスターさんは有料研修で是非。→シニア・シルバー層の視点育成研修

とはいいつつ、弊社ではシニア層に「考える事」を推奨しています。そこは譲りたくない。それがダメな人・嫌いな人も多い、と知りつつ。インドの酷暑で「考えろ」と言われたら苦痛で苦痛でたまらないのも知っているけど。苦痛を与える事は「いいこと」ではないかもしれないけども、私にとっての「教育」の原点なのです。

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こころとからだ

とある企業様のリクルーティングを依頼された。

その一つの条件に「こころは若いが、体は年相応。」というのがあった。

教室に戻り、教室にいらしている方々の顔を見る。

「あの人は、若いよねえ。」

「あ、でも、質問内容は年相応だ」

パソコンに関する質問内容は得てして「これどこにあるの?」「このやり方がわからない」というものが多いのですが、加齢による視野の狭さなどが質問内容に反映される。

「そうだね、めっちゃ若そうに見えるけど、質問内容は年相応だね。」


そんな会話が繰り広げられた午後。

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団塊世代とシニア層

本日、某所で団塊シニアの心のつかみ方、というセミナーを拝聴しに行った。

しかし、お話を伺えば伺うほど、なにか、私の中でしっくりこなかった。

団塊シニアの特徴として 1)時代の消費をリード 2)一定の海外旅行経験がありスマートなサービスを求める 3)旅行を能動的にとらえ、自ら堪能する積極的なタイプ 4)インターネットでの情報収集

という項目があったのだが、私が知っているリアル団塊世代を並べても、該当する人がいない。
もしかしたら、商品の金額が高いから、所謂富裕団塊世代なのかと思ったが、それでもなさそうだ。

しかし、話を聞いている内にそれが62歳から66歳くらいの人であればしっくりくることが分かった。
確かに、団塊世代は高度成長期の真っただ中にいたが、高度成長期を作り上げる為の基礎を作ったのは団塊世代の前である。団塊世代は伸び始めた中にいた。それだけだ。
さらに、海外旅行経験があり、スマートなサービスというが、サービスと言うのは、双方向で起きるものである。自分がサービス業をやっていて思うが、62歳以降の人はサービスを受けるのがうまい。団塊世代は、まだそこまで達していない。それが団塊世代がまだ一つ上の世代に比べて子どもだからなのか、そういう世代だからなのかは解らない。
旅行を能動的?これに関してもちょっとクエスチョンマーク。
団塊世代は確かに蘊蓄が大好きだし、その蘊蓄はとても参考になるが、じっくりと調べるのは心に余裕が出来る62歳以降である。60歳なんて、まだ俗世から離れていない。

さらに、ウェブのアクセスが15時頃、というのも、リアルシルバーなら朝の6時頃だし、リアル団塊世代(S23年前後)ならまだ仕事をしているので、15時にアクセス増大と言う訳にはいかないだろう。

今日分かった事は、「団塊世代」というのはノリが軽く、「みんなで頑張るぞー!」の「持ちつ持たれつ」という62歳以降の「シニア層」とも違い、54歳以下の「若くてしっかり者」とも違い、明るくて、軽くて、元気な、そして特殊な層なんだってことだ。だから、「団塊シニア」と57歳くらいから65歳くらいまでをいっしょくたにまとめてはいけない。

私が毎日シニア層に接していて、そして、ここでは簡単に「シニア層」と括ってしまっているが、シニア層と団塊世代は違うと言う事が最近はっきりしてきた。さらに、団塊世代の男性の妻はもう少し若いし、優しいし、しっかりしてるし、団塊女性は強いし、いやなものは嫌、好きなものはスキ、もっと遊びたい、もっと羽ばたきたいという人が多い。

今日、お話を伺いながら、ぱっと名前が出る団塊世代の名前を紙に10名ほど書き出し、やっぱり団塊男性って特殊で、少年の様だと、そして団塊女性は特殊で、お姫様の様だと、しみじみ思ったのである。

本当は、団塊世代のがっつり特徴も伺いたかったのですが、もし、私がしゃべっていて、そういう質問受けたらやだなあ。と思ったのでやめました。ハイ。(小心モノ)でも、いろいろ考える事が出来ました。ありがたいことです。わが社の保有するシニア層消費行動別プロットもそろそろ成長させようと思います。


しかし、私も時折人前で話して思うのだが、面白い特徴を持った人と言うのはどうしても話に出やすい。それは100名のうち1人、面白いセリフを言って、それが「私が考えるシニア層」に合致したもので、話して受けるものだから話してしまうのだが、聴衆としたらその一人のセリフが「世代を代表する」会話になってしまうのだから、そういう特殊な話ばかり、特に目立った人の話や発言ばかりを面白く伝えていくのは難しいなあと思った。
やはり何百と言うセミナーに行くよりも、実際のシニア層と触れ合って喋って笑ってもらうことが何よりも大切だと思います。
以上独り言。

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シニアイベント

仕事柄、色々なお兄様、お姉さま方と話す。
最近の団塊世代は一様に焦っていて、多くの要因はマスメディアの煽りでもあるわけなのですが、私の周りのおじさまがたも皆、どこか、焦っている。

なので、2年前までは「定年退職後」は夢物語だったのに、現在は現実として「退職前に人脈を」とか「退職前に世界を広げて」「趣味を」「友達を」と、妙な焦燥感にかられているように見える。

さて、そんな中、沢山のシニアビジネスが立ち上がっている。
とにかくシニア層を集めたり、いろいろしている。

昨日は某会合があり、私は出席していないが知人が行った。
「シニア向けというのにさ、会場は気が利いてないし、若者だけの遊びにかっこいいからとりあえずシニアを混ぜましたって感じなんだよね」

そういえば、昔某会合に出た某女史が「行ったら、客寄せパンダ状態でやんなる。」

「シニア層の集まりって言うから楽しみにしてたのに、行ったら話はつまらないし、友達はできないし、本当に最悪。」

この原因として、
1) 主催者が気配りできない
2) シニア層が求めすぎている(与えられるのに慣れている)

というのが挙げられる。
定年退職をすると、人との出会いがぐっと狭まる。そのために、人は頑張るのだが、「行く」ことはしても「努力」はあまり好きではない。
当社のイベントは大体刺激的で満足度が高いと自負しているが、それでも、主催者の我々は彼らを楽しませるために色々な仕掛けをし、話題を提供し、人をくっつけ、終わった後には口も聞きたくないほど、1杯のワインでダウンしてしまうほど疲れてしまう。

「シニア系のイベントに行ったけどつまらなかった」「月並みな情報であとは営業ばかりだし」「まあ、じいさんばかりだったよ」といわれてしまうのであればシニア層に対するヒアリングをもっともっと行った方がいい。独り善がりの幸せを押し付けてはいけない。もし、イベントでつまらなそうなら、お土産を大量に持たせるしかない。とりあえずそれで不満は少し減る。しかし、お土産を持たせないとうまくいかないイベントなんて、もう少しコンテンツを持たせた方がいい。コンテンツもなくてお土産もないイベントなんて最悪だ。ホスピタリティが薄いイベントなんてやらないほうがいい。まず、少なくとも環境と駅からの場所は考えなくちゃいけない。エレベータがあるか、駅から遠くないか、道に坂はないか、色々計算して、計算尽くして、はじめてイベントって成り立つんだと思う。

まあ、私はプロのイベント屋さんじゃないし、何千人単位で来客を見込むものならば、いちいちエレベーターとか、きにすることはできないだろう。しかし、シニア向けイベントをするのなら、そういう細かな当たり前の気遣い、あっても感謝はされないが、ないと不満になる程度のものは全て気を回しておくべきであると私は考える。


来週は80歳台の方々と飲み会。これは仲よい方々で少数だから、話も盛り上がるし楽なんですけどね。

いずれシニア向けイベント心得でもかきますかあ・・・。

テクノラティプロフィール

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それは無視できない問題

朝、某高齢者団体と打ち合わせ。
「モリサン、Aさん、知ってるよね?」

Aさんは昔このブログにも登場したことがあるネット株取引が大好きなおにいちゃんである。うちの教室にいらしてはみんなの前で株取引をして色々な人の賞賛を浴び、さらに、優待券が来ると私たちに分けてくれるすてきなお兄様だ。

「Aさん、亡くなったのよ、それも孤独死で、死後数日きづかなかったって」

「・・・・・・・。」

Aさんはシルバー層が住む住宅に住んでいた。最近いないなぁと思った管理人さんが部屋に入ったらなくなっていたとのコト、仲良かっただけに、ちょっと感慨深いものが。


そういう話って避けて通れないわけで、今後、退職して「自分探し」に失敗して、欝になったり引きこもりになったりする人も増えるだろう。すべての人が「アクティブシニア」ではない。

できるかぎり、皆がアクティブになれるように、例えばウェブサイトを使いやすくすると提言しているのも少なくともITリテラシが低い人でもウェブサイトを使えれば、使いやすくあれば、情報が得られて誰か他の人と繋がって欝になるきっかけが減るとか、少しでも良いものを、少しでも楽しく使えればいい。

件のAさんも、私がそもそも「この人のためにウェブサイトは使いやすくなるべきだ」と思ったきっかけの一人である。PDFが全く解らなくて電子なんとかがとれなかったり、間違えて株を買ってしまったり、売ってしまったり。彼はそれすらも少しは楽しんでいたけども。

奥さんがなくなる、ご主人が亡くなるより奥さんがなくなるほうが後を引く人が多いわけですが、(女は強い)ときのフォロー、夫婦がいる「お一人様」と本当のお一人様はワケが違う。

そういうことを考えていると、少子化の現在、子どもがいない人々は、誰に看取られるのだろうかとちょっと感慨深く。

そういう、ネガティブな話にどう向き合っていくか、ということを今日の打ち合わせで話し合っていたのでした。あー。切ない。

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幸せは推測するものではない

「高齢者にとっての幸せってなんですか?」と突然、聞かれた。

答えに窮したので、「すぐには答えられない」と回答しましたが、私たちも多くのシニア・シルバー層をハッピーにさせるために日夜色々なことを考えております。根本的な解決ではなくても、パソコン教室でパソコンという道具を通じて色々なものを知ったり、気づいたり、そういう「知的ワクワク感」を提供しようと、思っております。

ただ、それは根本的な解決ではありません。パソコンと言う便利な道具を知ってしまったが故に、操作の難しさに直面する羽目に陥ったりもするわけです。例えば、恋愛で言うならば出会えた幸せと出会ってしまった不幸せは紙一重でありますから。
まあ「幸せって言葉が定義できない以上、それは回答できないですよ」とうちのスタッフにはさっくりと言われましたが、確かに非常に微分的な幸せはあっても、そこにベクトルが発生するとその時間の流れが存在してしまう幸せについてはなんともいえない。ちなみに、我々は「眠るとき、お布団に入る前にくすっと笑ってしまう幸せ」を提供しようというのが社訓?ですが。

ところで、そんな命題を掲げられ、仕事もひと段落着いたのでふらふらとネットサーフィンをしていたところ、以前良く買っていて今は余り買わなくなってしまった店に久しぶりに行き着きました。何かが変わったなぁと思っていたのですが、じーっと見ていると、そことの「幸せ」がずれてしまったように感じたのです。

どういうことかというと、そのお店には主婦の方がウェブマスターとして入ってきました。すると、全体的に「主婦的」なお店になってしまったように感じたのです。私はその店から甥に貢いでいたこともあり、今までのようにちょっと喜ばれるお店、というよりは主婦の視点で嬉しいお店、というのにシフトしてしまったように感じられて、なんとなく指が遠のいてしまったのでしょう。

それがいいことであるとか、悪いことであるとかではなくて、「そういうものなのかなぁ」と、しみじみ感じ入りました。

世の中には高齢者がきっと喜ぶサービスを色々なところで量産されています。
私のところにもしばしば連絡が入ります。相談に乗って欲しいというのもあれば御社の生徒さんに告知してくださいとか(ものと内容と付き合いによりけりです、基本的にはしてません。)「きっとこういう講座があれば高齢者のかたがたが喜ぶと思うのです!」と(え、それってどの高齢者?データの中の?それとも2次元の?「萌え」な感じの?)と思ってしまうようなセールストークも舞い込みます。

私たちも日々日々たくさんのシニア層に接し、愉しみ、発見の毎日ですが(一部の方には最近疲れてる?と指摘されてますが、吸い取られてるだけです(笑))幸せや、彼らの反応することについては接してみて初めて気づくことが多いのも事実です。

最近、様々な調査を請け負わせていただいておりますが、そのたびに新たな発見が生まれます。数字データでは解らない行動の理由が見えてきます。何を幸せに感じたのか、どうしてそうしてしまったのか、行動とその理由をヒアリングしていると色々面白い発見が見えてきます。

つまり、何がいいたいかと申しますと、幸せは第3者が推測するものではなく、ましてやあなたの幸せがその人にとって本当に幸せかどうかなんて解らなくて、(姉妹とか、恋人同士でも解らないのに)、「これをやってあげるから、あなた幸せでしょ。」というシニアビジネスのスタンスをそろそろ終わりにして一緒に幸せについて本気出して考えてみませんか(Byポルノグラフティ)。というお話でした。

ということで、ご質問をいただいた方々へ、私の簡単な考え方をお伝えしました。以上。

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百聞は一見に如かず

とあるシニアビジネスをされているご担当者様が遊びにいらした。
打ち合わせ半分、煮詰まっているのを打破するのに半分、色々その「モノ」がシニア層にどうしたら受けいられるのかなどを話していたら・・・

そこにいらしたTさん。「あたしはね」と会話に加わる。
うちの教室はなぜか人が話していようがなにをしていようが、話に入り込む習性がある。

「あたしの行っている教室では○○でねー」

悶々と考えるより聞いてしまったほうが早い。門の中に心を入れるより、門の中に耳をいれてしまったほうがよっぽど早い。

ああ、そういうことでうれしかったり、購入したりするんだー。という話で盛り上がる。

先日はとある記事を書きたいという人が教室に遊びにいらした。(本当は遊びじゃなくて仕事ですけどね。教室にいらっしゃるのは遊びに来るものだ、というイメージが強くて・・・)

とある事象について語っていたらそこにいらしたKさんが「僕の周りでそういう人はさー、こういう感じの人が多いんだよね。」

なるほど納得、というよりも、そういうモノゴトに対して、シニア層がどう捉えているのか、それがネガティブなのかポジティブなのか、どういう言葉で反応するのか、聞いていると本当に面白い。

プレゼンなどに行っていると、シニア層のデータは、とよく出される事がある。
私が自社資料を出してしゃべり始めると「そうそう、そういえばうちのオヤジとかも・・・」と話になる。

私たちがシニア層をその企業に合わせて分類するときは、通っている人の名前を全部印刷したものを、その商品の購入やその目的にあわせてKJ法のごとく分類していく。「この人とこの人、似てるよね」という感じだ。

それで分類するとたいていは外れない。

シニアビジネスをはじめるのに、データもいいですが、きちんと「生の声」活用してますか?生の声は届いてますか?


しかし、いまだに、生の声を聞くと驚く事が多い。自分自身もシニア層の考え方、消費行動について知らない事はたくさんあるということを、彼らから学ぶ事が出来ます。ちょっと話し長いですけど。

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[雑感] シニアビジネスはますます

最近、シニアビジネスをものすごく難しく感じる。
昔のシニア層はもっと素直だった。
よろしくね、とお願いすれば「いいわよ」といくらでも協力してくださった。

今の団塊世代を中心とするシニア層は、何をするにも色々な理屈が必要だ。
そして、自分がかっこ悪くならないように、色々な言い訳をして物事をする。
とにかく、回り道が多い。

とあるアンケートに回答してもらう。
ちらりと見た「書いてること」と「普段言っていること」が全然違う。

僕はこうあるべきだと思うんだよと人が言う。しかし、やっていることとか、買ったものとか、その理由は全く違う。

プライドを傷つけないで、それでも(私は慣れているので)それなりの持ち上げ方をして、私の望む通りにご協力いただいたりするわけですが。(それでちょっと疲れていて、最近更新が滞っているのです)

サターンリターンという言葉があるらしいです。
29年に1回土星が巡ってきて、色々と変わるらしいです。
確かに以前より60歳前に消費行動や考え方が変わる瞬間があると言っておりましたし、50歳代後半は「汽水層」、それは海水と淡水の交わる場所として、そこにしか住めない特殊な生物として例を挙げ続けてきたわけですが。サターンリターンと、その「汽水」時期がちょうどマッチしていますね。若さと老いの中間点です。どちらかというと、そろそろ「死」を強く意識しだすときだともいえます。

かくいう私も、そろそろサターンリターンな年頃になりまして、今まで思いもつかなかったような年齢病にかかっています。友人が「30歳過ぎたら楽だよ」と言っていた意味が、良くわかってきました。多分、過ぎないとその「楽」は解らないですが、先人が色々教えてくださるので頑張れると言うか。(多分、29歳は老いを意識し始める年なのではないかと自分で思うのですが)

団塊世代がサターンリターンな時期に入ります。
彼ら、一筋縄ではいきません。
口で言っていることとやっていることは大きく変わります。
彼らの本音、きちんと把握していますか?飾らない声は掴んでいますか?

団塊世代が60歳前になって、ますますシニアビジネスが難しくなってきたなと思います・・・。

#前は、55,6歳(当時の団塊)って若い!と思っていたのですが、この2,3ヶ月、そこに陰りがきた気がしてなりません。私が年を取ったのかもしれませんし、彼らがそういうナニカに引っ張られているのに、引っ張られているのかも・・・今まで70歳の方たちでも何歳でも平気だったのですが、若さが老いを迎えるところに一緒に引っ張られている気がしてなりませぬ。ひゃぁ。

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切ないかもしれない。

#独り言です。

74歳のM嬢、お孫さんの仕事を手伝えるかも。とエクセルをはじめた。
お嬢さんに「そんな難しい今年なくても、孫の仕事は私がやりますよ。お母さんは楽しいことだけやってればいいの」と言われ「なんだか気が抜けちゃった」と涙目。
たしかに、彼女にエクセルは難しいかもしれない。やる必要がないかもしれない。でも、会わなかった1週間の間にすっかり気力がなくなっている・・・気がした。楽(らく)=楽しい、ではない。
シツモンを聞くと、その人がどういう思考をしているかと言うのを解るようになるが、今日受けた質問は今までのとは違い、なんだか張りがない。目的がない。


87歳のO嬢、久しぶりにいらした。
前々から兆候はあったが、今と過去の区別がつかなくなってきている。
エクセルも、というとエクセルが基本みたいに聞こえるが、エクセルを使っている好奇心旺盛な方が、「なーんもやる気がしなくなっちゃった」

見た目の老化じゃない、心の老化と言うはなしを昼にスタッフとしていただけに、彼女たちを目の当たりにするのはとても切ない。じゃあ何ができるかと言ったら、頭を使わせる、楽しいと思わせることだけなのだが、なんだかとっても切ないなぁ、私たちって無力だなぁと、つぶやきながら、ウェブを良くして、皆が使いやすくなるための仕事をしているのである。

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ユーザー視点ということ

どんなに素敵な言葉でも、相手に伝わらなければ意味がない。
すべての要望に応えることは不可能でも、できれば、アナタの願いを叶えてあげたい。

伝わるって、なんだろう?
伝えられるってなんだろう?

生徒さんのSさん(63歳男性)が昨日仰った。
「ほら、解っている事をだらだら話す子っているじゃない、ああいうのって何を聞き取ればいいかわからないから、質問をしてからしんどくなるよね。ピンポイントに答えてくれないのって。」

解っている事を話すのは簡単だ。でも、相手の土壌で話し、相手の言葉で相手の目的に達するために伝えるというのはとても難しい。

ウェブもそうだ。相手が求めること、相手が必要としていることのページに導くまで、きちんと相手の、つまりユーザーの目線で立っているかどうか。

誰もが陥りがちな罠である。自分のいる環境が他人と同じだと思ってしまう。同じバックグラウンドがあると思ってしまう。

言葉一つとってもそうである。黒い大きいの、が、アダプタなのかモデムなのかは電話越しでは解らない。ランプがたくさんピコピコ、のたくさんがいくつなのか、何番目なのか解らない。
その時、解る人は解る言葉で話してしまう。同じものを見ている事を前提に話してしまう。

昔、某社のウェブサイトを見ていたNさんが仰った。「このホームページはユーザーサイドに立っていないね。」私たちに必要なのは、完璧にペルソナを作り、推測するだけじゃなくて、実際にユーザーに気軽な状況で座っていただいてみていただいて、実際に操作していただいて、意見を呟いていただくことなんじゃないだろうか。

これから発表する「家電メーカー9社、シニアユーザーによるユーザビリティ評価」についても、結局どこもキレイにできているサイトだったにもかかわらず、「このサイトは解らない。使えない」と評価されたサイトはユーザー視点に立っていないものだった。多分、本人たちは解らない。「ユーザーの事を考えている」

でも、考えていることはもちろん重要だけれども、好きな人の事を考えて、考えるだけじゃ物足りないのではないかと思う。例えば、カレのためにおやつを作ってあげよう。でも、カレの好物は?食べるシチュエーションは?お弁当を作って「LOVE」なんて書く人はイマドキいるようないないような、でも、そのお弁当を開けたシチュエーションによってはその愛情の伝え方が「伝わるか伝わらないか」は別物なのである。

正直、その環境にたっぷりはまっていたら、今更「ユーザー環境を考えて」なんてことはできないのだ。でも多くの方に出会い、その状況を肌で感じることは重要なのだ。と、思う。

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できる、使えるってなんだろう?

一息ついて次の仕事に取り掛かろうというときに「使える」という言葉がどうしても頭を離れてくれない。

私がパソコン教室の運営を始めたのは2001年だった。
その前までは「リコメンデーションエンジン」を扱う一営業マンであったわけだ。
※リコメンデーションエンジンとはインターネットのお店の中で「あなた、これはどうですか」とオススメしてくれる便利サービスです。アマゾンとか、楽天にはいっているのがリコメンド機能です。

色々あって、「使える人々」の中から、突如「ちょーつかえない」人たちの中に飛び込みました。

「ボク、インターネットを基礎から学びたいんです。少しできるんです!」と聞いたときには「インターネットを学ぶってなんじゃい(くらくら)」と眩暈がしてました。「インターネットを基礎から勉強するって何?」と。「そんなの、見てればうまくなりますよ」と「うまい」の定義も解らず解説しました。今考えると恥ずかしいですね。解らない人にとっては見てろと言われても、見ればうまくなるといわれても解らないものなのです。それを実感するのに半年近くかかりました。
「なぜ彼らはこんな簡単なことに基礎からやりたいというのだろう」「ただあるものをクリックすればいいだけだし、気になる言葉を入れて探せばいいだけじゃん。」とずっと悶々としていたのですが。

それが、「ものすごく、できてる人の視点でできない人を見ていた」と気づいたのが11月のこと。「インターネットは彼らにとって難しい。」でも「インターネットができる人が偉いわけじゃない」。どこかに(当時の)インターネットができる人にとってできない人は「インターネットすらできないのか」という視点があるような気がしています。それは子供に「1週間IT講習会に通ってインターネットもできないのか!って息子に言われてね」というお母さんが減らないのと同じような気が。

「たかがインターネット」とできる人には思うでしょう。さっきの話の続きだと、料理と一緒「たかが味噌汁」「たかが煮物」でも、たかが煮物を作るのにレシピを見ながらじゃなくちゃ作れない人だっている。たかが梅酒を漬けるのに袋に書いてある分量どおりでないと気がすまない人もいる。たかが、梅酒じゃないか。たかが、インターネットじゃないか。たかが餃子じゃないか、たかが、きりたんぽじゃないか(いいオチ見つからず)

私が今でも敬愛する某醤油会社を就職活動で受けたときには(まさかIT関連に進むと思わず)、商品企画書という紙の中で「キャップで計量できるようにしましょう!」といったところ、面接官の方が「いいアイデアだけど、イマドキの若い子は、何もかも測らなくちゃ料理すらできないんだ・・・」とつぶやいたのがとても印象的でした。計量スプーンがないと料理ができないというのは多分、想像ができないんだと思う。(私は大雑把なO型なので、計量スプーンなんて使わない。)

60歳からの男の料理教室に見学に行ったときには、「うちの奥さんの料理は大雑把で落ち着かない」と仰っていました。そういえば私が昔通っていた料理教室、たまたまおなじテーブル(作業班)だったおじさんは「すみません、しいたけの飾り(上の切り込み)の角度は何度で包丁を入れたらいいんでしょうか」と真剣に質問し、先生が声にならない怒りオーラを出していた。そういうもんだ。当人にとっては笑い話じゃない。私は鬼だから帰って直ぐに皆と大笑いしたけども(ブログにも書いたし)。

不安なのだ。正しい事を、皆が、知りたがっている。なのにできる人にとっての「正しさ」とできない人の「正しさ」は見当が違う。しいたけの飾りの角度なんてどうでもいいじゃん。きれいであれば。でも、「正解」を求める。正解を求めるから、正解以外の答えが返ってきたときにパニックに陥る。そして、使える人から見たら、そのパニックに陥った姿を見て「使えない人は」という発言をなさる。

そのパニックになって使えていない様は明らかに表層的な問題だ。結果として、パニックになっている。じゃあ、彼は何を求めていた?彼女は何が出ると思っていた?それを解ってあげないと「使える」ものはできない。使えないってことが、どういうことなのか。

使える人にとって、使えない世界と言うのは想像もつかない。

その「使えないということ」を解って欲しい、とは言わない。時間がかかりすぎる。
でも、「解って当然」と思うのは止めて欲しい。システム関連の人が「使えない世界」を想像するときに、そのことが本当に使えないのかどうか、勝手な思い込みで「使えない」と思い込んでないか、もしくは「これは常識でしょ」「これは使えなきゃおかしいよね」と思い込んでないか、もう一度確認してくださいまし。ああ、でも、確認も難しいですよね。不安な気持ちに共感してください。それだけでも使いやすさはぐんと変わる。

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囲い込み

「シニア層って囲い込まれるのいやなんですよね」と某さんが言う。

最近、いや、かなり前から、囲い込み、ということばに違和感を感じる。
なんだか羊になった感じだ。羊飼いがいて、羊がいなくならないように見張っている。
迷える羊を見捨てることはない。「囲い込み」という言葉にはそんなイメージがある。

私はいくつかのサービスに囲い込まれている。
例えば楽天。個別ショップに囲い込まれているのではなく、楽天と言うシステムに囲い込まれている。
多少高くても楽天で買いたい。ポイントがあるから。(楽天の回し者じゃないけど)
月間かなりの額を楽天で済ませる。楽だから。
じゃあイヤか、と言われたら「別に良いんじゃない?楽だし」となる。
使えるって事は、すでに囲い込まれているのと同じじゃないだろうか。

例えば紅光。だって美味しいんだもん。メールが来るとすぐに買っちゃう。他で果物を買う気にならない。

シニア層がウェブサイトを使う。いつも使い慣れたのが好きだから、他の会社のは興味があるから使わないの。という。それは囲い込みなのだろうか。それ以外、本当に使えないのだ。今のウェブサイトは悲しいほどに使いづらい。だから使わない。だから心が動かない。それは最初の会社にとって、囲い込んだと言えるのだろうか。

人間の心には3つのポイントがある。
満足、不満足、不満、だと私は思っている。(マーケティング用語に同じようなのがあったので、今大学時代の教科書を引っ張り出したがどこにかいてあるか解らない。概念だけ。)

満足はハッピーだ。不満はアンハッピーだ。不満足は「満足ではない」だけなのだ。だからといって、他のものを探す労力はもったいないし、別に不満ではない。なーんか物足りないけど、別に良いんじゃない?長年付き合った恋人みたいなものだ。

この人じゃないかもしれない。でも、次には現れないかもしれない。だから、まあいいか。って。
理想論はまあいいか、で結婚しちゃだめだよ、と言いたいところだろうが、まあそんなもんだ。多分。

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経験したことしか、知らない。

当たり前のことですけど、「懐かしい」という言葉に人の記憶は入っていない。

懐かしい、ということは、つまり自分が経験したということなのだ。

田舎暮らしをしたことがない私にとって、田舎と言うのは「懐かしい」という記号は持っているが、心の中では懐かしいとは思わない。
反対に、小さな校庭から見える大きなビルを見ると、「懐かしいー」と実感できる。ちなみに、小学校時代の制服を着た子がよく電車に乗っているが、それも懐かしい。つまり、懐かしいという感情は、当たり前のことすぎて誰も気づかないが、自分の経験なのだ。

懐かしいとは裏切らないこと。

田舎暮らしを考えながら、20世紀少年、という漫画を読んでいたらそんな事を思った。

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ブリオジ

ブリオジ、は友人のN君がいいはじめた
「若者ブルオヤジ」のことである。
私は彼が「ブリオジ」という度に、ブリを食べるおじさんを思い出す。

今時のブリオジは、若者の研究に余念が無い。
若いと思われるために何をすべきか、表立っては研究しないが、それはまるで多くの女性がお風呂を出たときに鏡を見ながら色々な顔をして研究しているのと同じな感じで。

今、50歳台とそれ以下の比較表を見ていて「なんだかなぁ」と笑っているのである。
だって、50歳台の方が「よっぽど今時の若者よりも”従来の”若者らしい。」

もしかして、今時の若者はもっともっと疲れているのに、おじさんたちは昔の若者像を追ってより若者らしく、より爽やかにしているために、なんだかうそ臭いほど若く見えるのかも。

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ブルータス!

雑誌の名前じゃなくて、「おまえもか・・・」。


ひそやかにうちのスタッフの中で人気のKさん。
団塊世代で、明るくて、団塊世代もそれ以上も毎日見て、正直とほほ、な人も多く、「団塊ビジネスって皆言うけどどうなのよーっ」と毒づく毎日の中の一輪の花のようなKさん。

若々しくて、とても素敵な方なんですよ。

多分、シニアビジネスをしている人たちが描く理想のシニア像。
私服も超お洒落!ってワケにはいかないけども、許せる。スーツ姿も「いいもの着てる!ってわけじゃない」(Byスタッフ)けど、許せる。

「若いオンナに許せるとかって言われたくないぜっ。けっ」とこれを読んで諸おじさま方は思うのでしょう。そう、私もそう思います。許されたくないぞと。でも、若い女性達は思っているのですね。あれは許せる、許せない。おじさまがたが勝手に自分を許しているときに、女性たちは祈りをささげているのです。

と、まあ冗談はおいといて、この話はカテゴリでも「日記・コラム・つぶやき」と一番責任感の無いだらだらコメントなので許してくださいな。

そうそう、「団塊世代はファッション性があって」とかって誰かが言ってましたけど、若い私から見て、「あれがファッション性があるとは、私のカンガルーパジャマだってファッションだい。」と思わず言ってしまいたくなるような感じですね。ジーンズをはけばファッションだって思っていらっしゃるのかは謎です。まあ、お洒落をしようという心掛けはいいことですが。ちなみに、同じ団塊世代女性と呑むと男性のファッションの酷さに対する愚痴で、ワインが3本空きます。「となりの同い年のおばさんは、あなたを超オジサンと認識している」、その事実を団塊世代はもっと目を向けるべきです。

と、団塊世代向けのブログではないので、団塊世代の方のコメントはご容赦下さい。
何が言いたいかって、その憧れのK