シニアのネットショッピング観察記録

先週の土曜日、シニア向けインターネットショッピング講座を実施。
私はサブ講師として、後ろで10人の観察をしていた。

教室で教えていると、「素朴な疑問」が、ユーザーの考え方を表す、いい気づきになる。
ユーザーテストだけでは解らない「全く分からない状況」「自分とは全く違う考え方」は、教室の現場に出なくては見えてこない。


その瞬間、

「先生、ウィンドウズのログインは(ピー)って入力しているんですけど、」


えっ、パスワード叫んだ!!!!


「それと、楽天のログインはどう違うんですか」


パスワードを叫んだ妙齢のお姉さまに私動揺。

そんな講習が繰り広げられる中、

シニア層も使えるネットショップになるための

ダメ、絶対、と、あったらいいな、をまとめてみました。

シニアとネットショッピング観察記録

講習余談。
「どうやって、その会社が信頼できるってわかるんですか?」と何回も聞かれて、
「AIJのこともありますよね、だまそうとする人には、庶民は無力です」

と答えたんですが
それ以外に答えようがない、、、

昔、旅行会社の倒産に巻き込まれた私としては
その業界でまことしやかに聞こえる「あそこ、危ないんじゃない?」っていうウワサは、一般人の耳に入らないことはよく解っている。

「私は今のところ、ショッピングで失敗したことはありません。まあ、予想外のものだったことは何回かありますが」


「そうなんですか!安心した」

いや、その安心も違うよなー。

インドでバックパッカーしていた時に、そこで知り合った人に言われたこと。

「信じる、ということは、考えないことだよ。なんで、っていつも考えるようにしなさい」

妙に疑るのではなく、伸びやかに、自分の本能を信じて、うまいはなしは疑って
楽しいショッピングを高齢者がしたら
買い物難民というか、もっと、楽しい未来が拓けるな、と思う。

|

見えない「先」は存在しない。

私の好きな話↓
『徒然草』 第52段.仁和寺にある法師

略すと、お坊さんがお参りに行ったのに、途中で勝手に勘違いして帰っちゃって最後まで行かなかった。マジウケル。(By兼好法師)という内容である。

シニア層のネット操作を見ていると、いつもこの話を思い出す。

Nさんは65歳男性。
インターネットを初めて2カ月になる。

「年末はインターネットをやろうと思ったのに、楽しくなくてすぐ閉じちゃった。」と仰る。

インターネッ子(笑)としては聞き捨てならない言葉である。

「どんなものを見てみたいですか?」

「何があるかわからないから、何も見れない」

「テレビとか見ていて、気になるものをとにかく入れてみればいいんですよ」

「例えば・・・」と、色々見たくなるキーワードをぶつける。

「なるほど、自分が調べたいものを出せばいいんだ。
でも、調べても、何が出てくるかわからないし
ただ見ているだけだから、出来ることが少ない」(←??)

と、仰るので、実際にご興味のありそうなキーワードで見て頂く。

すると、よくあるシニアの行動、

検索結果で「ほら、ここには答えが無い」
これはよくあること。

そこからクリックを促す。

「この情報はつまらない。ただ見ているだけだから」(←??)

「では、前に戻りましょう」

いろいろ話を聞くと、その商品が興味あるのではなく、商品で出来ることに興味があるとか。

「キーワードを変えましょう」

「変えなくちゃいけないの?」

「そうです」

「ふーん」と不服そうに。

「よく解らないんだよなー」

そして、促さないとクリックしない。

「もっと見てみましょう。」

色々なページを表示していただく。
色々なキーワードを入れていただく。

「なるほどねー」

ようやく少し楽しくなってきたようだ。

映画のサイトを観たり、そこから最近気になる女優さんの映画を観たり、いろいろ進んだ。

先が見えない、想像できない、というのは、そこに進む価値があるのかどうか見極めない=行かなくてもいい、と判断されてしまうんだなと思う。

件の徒然草では、自分の目的が達せられたからと勘違いし、山の上(本堂?)まで行かなかったわけだが、その先にどんなものがあるのか想像できなければ前に進まない。

シニアのユーザーテストをやっていると、
さまざまな思い込みで途中でやめてしまう。
もしくは、ないものとして扱う。

「これができたらいいな」と思うのは若い証拠で
「見えるものだけを使う」というのが老化した証拠なのかもしれない。

シニアビジネスやら、シニア向けの商品やら、サイトやら考える時は
目的に達成できるような道案内が重要だなー
空気嫁とか、工夫しろとか、自らの努力を求めることはしちゃいけないなーと
つくづく思った瞬間だった。

|

顧客の努力


パソコン、インターネットで、顧客に対してどこまで頑張りを求めていいのかと時折悩む。

先ほど、とあるネットサービスを触っていて
とても難しい、と感じた。

その難しさとは、
・どこのボタンにどのような機能があるのかが解らない
・クリックしたボタンから出るサブカテゴリが、これまた訳が分からない

結局、先ほどもクリックしたところを再度クリックしていたり
かなり本気で立ち向かわないと
このサービスは使えそうもないな、と思い、

使用を断念した。

まあ、来週、もう一度挑戦してみよう、的な。


これは、私の努力不足だろうか。

もっと真剣に、このサイトに立ち向かうべきなのか。


高齢者がECで買い物をしようとする。
買い物かごが見当たらない、解説が理解できない、
同梱ができない、

若い人には驚くくらいのたくさんの障壁が、今のサイトにはある。

そんな時に
あなたの努力が足りないのよ、と思うタイミングについて悩む。

年を取ると、
老眼とか、手の動きが鈍いとか、短期記憶がよくないとか、色々な機能が低下する

その生理現象を乗り越えて
サイトは、真剣に立ち向かって購入しなくちゃいけない
モノなのだろうかと思う。

最低限の操作は、努力できる部分もある。
たとえば、指マークにならないとクリックできないとか
クリックできないものを何度クリックしてもクリックできないとか
そういう基本操作は覚えてほしい。

でも、店側で
指マークになってほしそうなところは指マークにしてあげることもできるし
クリックしたくなりそうなところは、クリックさせてあげたり
もしくは、クリックをしたくならないような画面でもいいと思う。

サイトは「自然に使える」状態が楽しくて
「立ち向かわなくてはいけない」と思ったら、突然大変な作業になる。

高齢者から「インターネットで買い物は難しくてね」
と言われるたびに、彼らにどこまで努力を求めるのか
サイト側はどこまで努力すべきなのか


その線引きにとても悩む。

|

2011年10大 小ネタ

#10大 小ネタ、というタイトルが既に何かむずかゆい

本年は大変お世話になりました。
来年はもっとガンガン情報発信してまいりますので
どうぞよろしくお願いいたします。

今年遭遇したパソコン周りのシニア系オモロー事件をまとめてみました。

1.パソコンはお金がかかるねえ


Kさん、72歳男性。
「パソコンってさあ、やればやるほどお金がかかるよね」と仰る。
何かと思って聞いてみると

プリンタのインクが切れるたびに、プリンタを買いなおしていることが発覚。

「インク、変えられますよ?」

「そういう難しいことはプロがやることでしょ?」

・・・いや、買い替えてドライバとかインストールして…の方が難しい気が。

2.言葉が混ざって・・・

ちょいとお若い方ネタ。
Hさん46歳女性。

「私、エクセルは結構使っているのですけど、エクセスはやったことがないんですよね。だから、エクセスを習いたいんです。」

うん、たぶん、アクセスのことだな。

3.言葉は難しい・・・


Hさん、76歳女性。
これはオモローではなくて、考えさせられたこと。

「続きはウェブで、っていうじゃない?あれと、インターネットとホームページはどう違うの?」

彼女は ウェブ→若い人向け インターネット→Yahoo!とかTVとか公的っぽいもの
ホームページ→新聞とか と使い分けていると思っていたとか。

そりゃあ混乱するよねえ…

4.パワーポイントがほしいです


Fさん、76歳、男性。お医者様。
学会の発表でパワーポイントを使うということで
量販店に行って「パワーポイントがほしい」と伝えたところ
なぜか、大量にパワーポイントの教科書を購入…。

添付のCDをもって
「この中にパワーポイントが入っていません」と質問にいらした。

それはパワーポイント本体ではない旨を説明しても
「でも、パワーポイントと書いてある」

納得していただいて、本体をご購入いただくまで1か月かかった・・・

4.テーブルに置いてます


まー。よくありがちな、ありすぎて、私にとっては普通のネタですが。

パソコントラブルの電話。
「何もしてないのにパソコンが動かないんです」
「どういう状態ですか?」
「机の上にあります」

もしかしたら、重すぎてパソコンが動かないのか?(物理的に)

5.正しい状態?


いつもと違うと不安になる。たぶん、これは人間の本能なんだと思う。

何年もアップデートされていなかったパソコンをお持込みされたので、親切心から?アップデートを実施。

「あらっ、右下の何か書いてあるのがなくなっちゃった!」とSさん(72歳女性)

「あれがないと不安なのよ、どうしよう」

うーん、次のアップデートを待つか…
そうしてアップレートがされずに溜まっていくんだなあ。みつを。

6.動かないです!

これも日々よくあるネタですが…。

初心者で入会された方からヘルプの電話
「先生、パソコンが全く動かないんです」

「何をしようとしてますか?」

「スタートボタンを押してます」

「ん?画面にぐるぐるしてますか?」←Win7のマウスマーク

「矢印になってます」

「おかしいですね・・・では、キーボードの旗のマークを押してください」

「あっ、スタートが出た!」

(ん?)

「何しようとしてました?」

「スタートボタンを押してるのに、スタートが出なかった」

「押してる」は物理的に、指で、という話でした。あるある。

7.時代の最先端


Aさん78歳女性。
とにかく新しいものが好き。

そんな彼女、「Twitterがやりたい」と仰った。

さすが新しいものに飛びつくって素敵だな、
でも、なんで始めたいと思ったんだろう・・と聞いてみると

「Twitterでドアラと会話がしたいのよ!」

そこかー。ミーハーは人を動かす原動力!

彼女のTwitterは今でも日々ドアラ宛のお便りが続いている。

っていうか、ドアラすごいな。

8.申し込みができませんっ

Sさん78歳男性。
セミナーの申し込みをしているのに、確認メールが届かないと。

実際に目の前で操作していただくと…

確認画面が、ただの確認画面だということにきずかず、
送信をせずに画面を閉じる・・・
そりゃ、送られてないよ・・・

送信ボタンを押すことを指示すると

「えっ、そんな簡単なことですか」

うん、簡単だけど、あと一押し足りないんだよね。。


9.自分で動かなくちゃ難しい

これはちょっと深い話。

iPadを息子さんからプレゼントされたMさん。
「高齢者でも簡単に使えるというやつなのに、結構難しいわよね」

自分で何をしたいか意思表示しなくちゃいけないものはちょっと難しい。
何ができるか解らないから。

何でもできる、は、自分で動かなくちゃ何にもできない。
でも、何ができるか解らない。

確かに、操作は楽かもしれないけど
その部分は難しいなーと、教えるのを見ていて思った。


10.個人的なシニアネタ

今年、なぜか毎日、妙齢の女性から間違い電話がかかってきた。
それも1週間くらい続けて。

毎回言われる「私は沖縄にかけているつもりなのに、あなたどちら?」
「私は病院に電話しているのに、あなたどちら?」

1日複数回のこともあった。
いい加減に履歴から消してほしい…

私はその電話番号を間違い電話として電話帳に登録。
その人からかかってくると
「間違いですよ」と教えることに(先制攻撃!)

そうしたら、その方も
電話するたびに
「あなたどちら?」と仰るようになった・・・・

間違えてるってわかるなら電話しないでほしい(;;)
(さすがにもうかかりません)


という、今年、心に響いた小ネタを集めてみました。

2011年は震災の影響もあり、シニア層の消費行動やウェブに対する姿勢が
色々と変わった年になりました。
(ちなみに、YOUTUBEの普及は尖閣諸島事件から)

2012年、団塊世代の再定年がはじまり、
大きく消費行動が変化します。

時間のワクワク消費が意識され、
「継続」がシニアビジネスの肝になるでしょう。

そのあたりのことも、どんどん発信していきます!
どうぞ、来年もよろしくお願いいたします!

良いお年を!

|

想像がつかないから、興味が湧かない。

人は、想像したことしか、やることができない。
想像がつかないものは、行動に起こせない。

と、最近思う。

子どもたちが、大人の姿を見て、大人とは、仕事とはこういうものだ、こういう大人になる、こういう大人にならないと考えるように(なので2世、3世となる人が多いのだと思う。親の背を見て育っている。)、大人も、想像がつかないものは思うこともできない。

「東京で暮らして大満足だから、別に他の国に行くとか興味ない」
他の国で過ごす自分は想像つかない、想像もしたことない、想像する必要もない。
想像して、見えないから興味を抱かない。アンテナをはらないから興味を持つきっかけもない。

そんなことを考えていたら、この本を紹介していただいた。

(要約)「サルにはバナナを食べたらおいしいだろうな、と想像する力があるはず。そうしたら、バナナを取りにいくために道具を工夫して使う。しかし、ドリアンを見ても、何か置いてあるな、位にしか思わない。取る気も起きない。工夫する気も起きない。仕事も同じで、仕事だから、だけでは人は動かない」

読んで、「想像がつかないから行動を起こさない」という漠然とした仮説とインターネット初心者がリンクした。

ネット初心者は自ら積極的にパソコンを利用しない。
知っているサービス(Yahoo!とか)、もしくは友だちに教えてもらったものだけ挑戦する。
あとは、有名(マスメディア、テレビで放映された等)なものしか使わない。

使える人は言う。「もっと積極的に使えばいいのに。私はパソコンがない人生なんて、インターネットがない人生なんて考えられないよ。色々なことも調べられるし、色々な人とつながるし、疑問に思ったことは何でも云々。」

初心者はその“色々”が想像できない。
遠く離れた、知らない人とお友達になれると言われても、
それが「楽しそう!」と思わない、想像できない、だから興味がわかない。
mixi,Facebookは、友だちがすでにたくさんいるから楽しそう。でも、他のサービスはよく解らないから興味がないから、使わない。

特に、シニア層は、今ある分野でどうにかできるほどの「経験」を積んでいるから、異物が生活に入らない。
インターネットはしているが、多くの人が永遠の初心者であるのはそれが故である。
ネットはしているが、「それ以上の操作」は想像がつかないから興味がわかない。興味がわかないから行動に起こせない。

「amazonで本を買っているの。色々な番号とかは既に入力してあるから、買い物かごに入れて、次へ次へと進むだけで届くのよ。」
「じゃあ、同じ要領で重いお米とかかったらどうですか?」
「えー、そんな難しいことは無理よ!」

何が違うのか解らない、だが、彼女にはお米をネットで買っている自分がイメージできていない。

ECサイトの市場は伸びている。
これから、今ネットで買っていない層が、自分が買っている姿が想像できるようになったら、市場はどんと伸びるだろう。
いつの間にか、今、ネットを使っている初心者は、当然のようにネットで商品を購入するようになるだろう。調べるようになるかどうかは解らないが。

だからこそ、サイトも、サービスも、その人が使っている自分を想像できる様に、その商品・サービスを手にしたときの自分の顔が浮かぶように、想像できるようにする必要があるんだな、もしくは、私の立場であれば、その人が使って楽しんで便利だと思うように想像力をかきたてる説明しなくちゃな、と思うのである。

|

Twitterとシニア層

震災以降、弊社が運営するパソコン教室では
インターネットをやりたいという入会者が増えている。
インターネットをやりたいというだけではない。
Twitterをやりたいという方が老若男女、増えている。

「地震に強いのはツイッターだって聞いたから、それのやり方を教えてほしい」
「ツイッターはできておかないと。」

震災前は、どんなにTwitterを薦めても「そういうのは若い子のものでしょ」と取り合わなかったのが、今では、Twitterをやりたいと入会されるのだから、時代とは変わるものである。
しかし、最近はじめたくなった多くのシニア層は「コミュニケーションツール」とは思っていないようだ。
#Facebookの方が友達を見せてくれる分、コミュニケーションツールと思われているようだけども。

随分前からTwitterのテキストは用意してあるので、基本的な操作についてはすぐに教えられる。

しかし、Twitterというのは、何かアクションを起こさなくてはいけないツールである。
アクションというのは、誰かをフォローする、ということである。

ココでそのアクションの先がわかれる。
その姿勢を見ているのがとても面白い。

比較的多いのは「とりあえず、Twitterに登録したらどうにかなる」と思っている方だ。
好きな芸能人も無く、キャスターも無く、「正解」の形を知りたいタイプ。
次にログインするのは相当先になるだろう。
あまり探求しようとせず、登録して、やり取りの練習をし、主要アカウントをフォローするも正解かどうか解らない状態を楽しめず辞めてしまうタイプ。
「これでTwitterしているってこと?」というのが口癖。


次に多いのは、目的設定情報収集型だ。
「私は駅の混雑情報が得られるというからTwitterに興味を持った」
「どこに何が売っているかというのが知りたいから」
このように目的がはっきりしている人もいる。
しかし、交通情報などは、事故が無いとその便利さが解らない為、何とも教えづらい。
高田馬場、で検索したら「飲んだ」「飲んだ」「飲んだ」って話しか出てこない。(笑)

「で、その情報どうやってみるの?」が口癖。
私は、彼らを見て、Twitterは小回りのきくミニメディアの時代になったのだ、と思った。


その次が、ラジオのお便りコーナータイプ。
「Twitterというのは、有名な人に直接話しかけられるんでしょ?」
「孫さんに意見が言いたい」
「TBSラジオにお便りを出してみたい」

返信をいただけたときには、ちょっとした興奮のるつぼと化す。
双方のコミュニケーションツールと思っていないので、返信が来るとびっくりすることもある。
その成功体験があればある程、Twitterははまり易い。

彼らを見ると、本当に、ラジオ番組なんだなー と思ってくる。

最後に、少数派であるが、男性に多い「ログインしたらぽぽぽぽーん」タイプである。
これは、ログインした瞬間に、誰かが自分のことを見つけてフォローして挨拶の魔法ですぐに友達百人できるかな、の世界である。
なので、こういう人が一番大変だ。自らフォローすることはない。最初の呟きは、大体、小難しそうな話である。
そして、「誰もいないじゃないか」とつぶやく。

「フォローしないと、フォローされないですよ」と囁くと、「フォローされたらフォローしてあげよう」と仰る、そういうタイプである。挨拶の魔法も、自ら挨拶しないとお友達できないですよ~

きっと、試行錯誤しながら、きっとフォロー/フォロワーが増えて行くのでしょう。


多分、「コミュニケーション」としての、Twitterと捉えると、ちょっと違う使い方かな、とも思わないこともない。
最初のころ、私がうまくTwitterの楽しさを伝えられなかったのは、自分の「コミュニケーションツールとしてのTwitter」の域を超えられなかったからかなと、今になって思う。

Twitterは新しいツールだけに、色々な使い方が出来る。
こういう時だからこそ、継続的に使ってほしいと思っているので、色々な使い方をそれぞれ提案できればいいなーと思っている。

|

大人と恐怖心とウェブ

大人になるということは、怖いということを知ることだ、というのは、自分認定自分の名言である。
失敗を恐れるようになれば大人、ということである。

偉人の名言などには、「一歩踏み出すことの大切さ」がよくあるが、それだけ、一歩踏み出せない大人が多いのだろう。

インターネットをしているシニア層の方がよく言う。
「ここ、クリックしてもいいの?」
「この中でどこをクリックすればいいの?」

失敗をしたくないなあという気持ちが、とても強い。
だから、「どうしてそんなところをクリックするの?」「どうしてそこをクリックしないの?」ということが多発する。

失敗するのが怖い、だからやらない、というのを凌駕できる二つのポイントは好奇心と崖っぷちである。

崖っぷちは分かりやすい。

ここ1カ月、インターネットを学びたいというシニア層が急増している。
そして、老若男女、TwitterやFacebookを学びたいという人が増えている。

震災でインターネットがないとだめだということを知ったからという。
Twitterは地震に強いので、始める必要があるということを感じたからだという。

やらないと生活に困るなどが「崖っぷち」。

好奇心は、恋心だったり、「楽しそうだな!」と思う気持ち。
インターネットなんて、と仰っていた方が俳優に恋をした瞬間に、インターネットをバリバリ使い、ファンクラブに入り、チケットをネットでとる。
本で読んで面白そうだな、と思った場所に、突然行ってみる。

失敗の怖さ<好奇心 であれば、人は好奇心の赴くままに動く。

そう、Twitterを始めたばかりの人が言うのだ。
「で、何が楽しいの?」
「知らない人とやり取りしていて楽しいの?」
「マミコさん、電車に乗って前のおじさんが靴脱いでるって、何のために書いているの?楽しいの?」


定石どおりに回答する。
「とりあえず、100名くらいフォローしてください。そうするとだんだん楽しみが見えますから」


「えっ。私は駅の情報とか、地震の情報が知りたいだけだから」
「無駄な情報が入るのは嫌なの」
「デマとか来たら怖いでしょ」

そうして、ここで終ってしまう。


これは、シニア層に限った話ではない。
30歳代だって、好奇心のアンテナが小さい場合には、すぐに手を止めてしまう。
若い方が好奇心が強くて、恐怖心が小さいのは、たぶん、経験の差だと思う。
だから、「大人になるということは、怖いということを知ること」なんだと思っている。

まっとうに年をとれば、多くの人は失敗したくないと強く思う。
好奇心よりも、失敗のほうが嫌だからだ。
やらなければ失敗はない。

年をとると、成功体験も積みあがるけど、失敗体験も積みあがる故に、なるべく無難を選ぼうとする。

もちろん、絶大な好奇心をずっとなくさない人もいるけども。
そして、私はそういう大人になりたい。だって、年をとっても目がキラキラしてるってかっこいい。


いわゆる「怖い」が大きくなってしまった大人向けのウェブは、使いやすさはもちろん、ここを使っても失敗しないよ、ということを伝えなくちゃいけない。

さらに、「怖いっ」と思うと、たいていの人は思考が停止してしまうので、思考力が落ちてもすぐに理解できるようにしておかなくちゃいけない。ウェブを見ているときは、いつもの3割ぐらい増して恐怖と闘っているんだから。

ウェブを作る人は、まさか自分のサイトが恐怖を感じさせているとは思っていない。

だから、作る人と、見る人の溝って深いんだなあと思う。

好奇心は恐怖を凌駕する。なので、ウェブサイトは、恐怖を取り除きながら、好奇心を煽り、なおかつ少し思考停止していても、考えなくても理解できるような状態が望ましい。

特に、ネットに不慣れなシニアユーザーには。

中高年でも使えるようにユーザビリティ力を高めるには、絶対的なルールを守らなくちゃいけないけど、相手の奥底にある気持ちが自分と違うということを知ることがとてつもなく重要だ。



これから、Twitterはマイクロメディアになっていく気がする。
マイクロニュースソースとしてのTwitter。


▼宣伝
シニア層も使えるウェブサイトを目指す人のための、最低限守るべきポイント(別ウィンドウが開きます)

・4/25まで、ユーザーの視線動画1本5000円という破格の値段でご提供しています。シニア層の指定も可能。どういう風にうちのサイトを見ているんだろう、とユーザー共感への第一歩に。(別ウィンドウが開きます)

|

できるの定義は難しい。

できる人、というのは、できないこととできることが解っている人だと思う。

って、ちょっと名言だ(自画自賛)


教室をやっていて、一番注意しなくてはいけないのは、「私できる。」という人である。

その「できる」の定義が人によってまちまちなのだ。


Hさんは、「俺はできるんだよ」と入会された。「メールも、インターネットも大体出来るんだ。あんなのちゃちゃっとやればいいだけでしょ。でも、小さい「っ」の打ち方が解らないんだ」と仰った。

Fさん(74歳)もそうだ。「会社でメールのやり取りとか、添付とかはできるんだよ。ただね、インターネットで野球の情報が見たいんだ。それが解らないんだ。」


皆さんはどう思われるだろうか。
「できる」ってなんだろう?って思うことはないだろうか


余談。昔々、10数年前、私が小さかった頃(今でも十分に小さいし、大きさは変わっていないけど)パソコンができる人は、ハッカーなんだと思い込んでいた時期があった。
その頃は「ハッカー」に憧れて、ハッカーはみんなDOSコマンドを打っていると思っていて、DOSコマンドが打てる人を見ると無条件に惚れそうになっていた。私にとって「できる人」はDOSコマンドが打てる人だった。(anE=安易)

そんな私でも、大学では「パソコンができる人」で通っていた。
見よう見まねで意味の解らないDOSコマンドを打っていたからだ、きっと。
いや、同じ時期にパソコンを買って始めた友達が、「ホームページ作れるなんてすごい」って言っていたからそっちかも。ホームページビルダーで一生懸命作ってた。意味も解らず。さらに、COBOLの授業は全く意味不明だったし、結局DOSコマンドは意味が解らなかった。ハッカージャパン(?)という雑誌を3号分くらい買ったけど、ほぼ理解することができなかった。(努力足りない)

「できる」の定義なんて、人によって違う。そんなもんだ。
だから、受付をやるときに生徒さんが「できます」という言葉を鵜呑みにしない。
どこまでできているのか、どんな概念を持っているのかをきちんと聞くようにしている。


「シニア層はもうさすがにパソコン使えるでしょ」
「シニア層もパソコンできるようになったでしょ」

と、聞かれる。

確かに、パソコンは日常品になったし、多くの人が大分「使える」ようになったと思う。
その「できる」が、Yahoo!を見て、知っているお店を検索する、路線を検索する、天気を見る、お気に入りに入っている友達のブログを見る、メールを書く、ということであれば。

人は決まりきったことしかやらなくなる。
自分にメリットがすぐに無いと思えば、それはしない。
若者がやっている?それは自分に関係ないよ、と思えば手を出さない。
ニュースで話題になったら検索する。

それ以上に何を求めて「使える」というのだろう。
彼らは十分に使えているのだ。
自分の使う範囲では。

ただ、多くのサイトは範囲外だし、範囲に入ったところで、難しかったら使わない。自分には役に立たないから。でも、それはシニアに限った話ではない。ネットの世界にいない人は当然ながらそう思っている。自宅でずっとネットするほど暇じゃないと。


年を取るということは、役に立つことばかり選んで実施することなんじゃないかと、思う。
もしくは、役に立つだろうと思うことを中心にやっていると時間がなくなっちゃうのではないかと思う。

昔、そこそこ若いおじさま(50歳代)のユーザーテストをしていた時に「いつもの画面と違うからこれはやりたくない」と言われたこともある。

会社でずっと使っていたけども、決まったことしかやっていないから他のことはできない場合が多い。その先をやろうとしても、難しそうだし、別に他の代替物があればやるモチベーションは限りなく低い。


何年やっていても、できないものはできないし、やっていることはできる。
「使えるようになる」という言葉は万能ではない。
「使える」からといって、何でもできるわけではない。
要は、やれることしか、やらない。


で、ふと考えた。
できる人、というのは「僕出来るよ」とは言わないんじゃないかと。

できる人は「これはできるけど、これはできない」と言える人なのではないだろうか。
私の周りのできる人は「○○はできるけど、Officeソフト製品は良く解らん」という人も多い。パソコンに対して「万能ではない」ということを認識しているからこそ、「できる人」なんだと思う。

反対に、「昔から使っているから僕出来ます」という人ほど怪しいものはない。
実際に、そういう方の入会が多くて、思う。
それは、シニア層だけでなく、若い方も。

確かに、多くのシニア層は「パソコンができるようになっている」。
が、同時に多くの人が「使いこなしていない」と解答しているのだから何ができるのか解っていない状態で「できる」っていう解答を鵜呑みにするのは怖いんじゃないだろうか。

まあ、できる、という言葉が「can」であれば、できるんだろう。
I can fry と言った芸能人もいたくらいだし。私もゴルフできるし、運転できる。(ゴルフは2年言ってなくて、最後は200近くたたいていたし、運転は最後に宮古島で脱輪してから怖くて乗ってないけども。)but I can.


だから、できているから、ユーザビリティを考えなくていい、という訳じゃない。
できているから、自分のサイトやサービスを使ってくれる、使えると思っちゃいけない。
若い人も、シニアの人も、利用者を買い被りすぎちゃいけない。利用者は「できる」けど、あなたのサイトのエキスパートでは無い、ということを、提供者はしっかり認識しなくちゃいけない。

と、思った。

では。

21:44追記
「アメーバピグ」にログインできないユーザーが殺到してスタッフブログが炎上
「問題なく」アメーバピグが使えるが、Flashのアップデートはできない。技術者は、ユーザーは万能だと思っちゃいけない例にいいと思った。「できる人」の「このくらい」は、ユーザーにとっては意味が解らないことで、とても怖いことなのだ。「使える」人が思っている以上に。

|

怖いということに共感する

今も、時折、パソコン教室の「先生」として現場に立つ。
現場は楽しいし、現場にいないと、感覚が鈍るから。

シニア層に教えていると、いつも思うことがある。
どうして、彼らは、いつも「正解」を覚えようとするのだろう?

正解を知ることはいいことだと思う。
だが、画面をいじってみて、正解をだすことも必要だと思う。
そちらの方が覚えられるし。

しかし、多くのシニアの方は、1回、2回、少しの操作をして、思った答えが出ないとすぐにギブアップしてしまう。

もちろん、解らない時は講師を呼ぶのがいい。
それで弊社は成り立っている。(ありがとうございます。)

しかし、どうしてすぐに、駄目だと思ってフリーズしてしまうのだろうか。
もう1つ隣のタブをクリックすればいいのに、その前で「もう無理」と思ってしまう。
ネットショッピングしている人も、クリックして思ったものと違う画面が出てくると「解りません」となる。

もう一歩前へ!と、声をかけたくなる。
大丈夫、大失敗したら、リカバリーするから。
だけど、もう一歩前進しよう。と声を掛けたくなる。

新しいソフト、新しいウェブ、常にこれは新しいから難しいと思い込んでいる。
だから、自分が想像していないものが出てきた瞬間にパニックになる。

ネットショップを持っている人とか、サービスを展開している人で、シニアも使えるようにしたいという方に、その「一歩前へ!」と声をかけたくなる瞬間を知らない人がいる。
みんなが、自分と同じように一歩前へ進めると思っている。

「出来る人に出来ない人の気持ちなんてわからないわよ」とシニア層が言う。

私も気持ちはわからない。私は運転が上手では無くて、運転がうまい人を横に乗せるとよく怒られていた。運転がうまい人に私の気持ちなんてわからない。

しかし、理解はできなくても、存在は解る。その気持ちがあることは、認める。


「前に通っていた学校の先生は出来る人だったから、僕のことをばかにしていたんです」とシニア層が言う。

たぶん、共感力が薄かったんだろう。
でも、そういう提供者さんは多い。

解る人が、できなくて、一歩前に進めなくて、パニックを起こす人にできることは、表面的な理解ではなく、そういう気持ちがあるということを認めることが必要なんだと最近つくづく思った。

だから、サイトの提供者や、サービスの提供者は、身近な人に自分が普通に使えるものを見せて、そして、使えな状況を目の当たりにして、その「使えない人の存在」と「使えない人の気持ち」を認めるところからはじめるのがいいんだと思う。

(弊社でそのお手伝いもできますけども、まずは、納得感がある認めるところから始めたいところです。)


しかし、試行錯誤できるというのは若さだなと思う。

「やらないよりやって失敗した方がいい」という意味の言葉を色々な人が言っているが、たぶん、大人になると、やらないことが増えていく、って言うことなんだろうと思う。

自分も肝に銘じよう。

|

シニア層と認知時間

スタッフN「さっきの授業、インターネットだったので、高田馬場駅周辺のレストランを探そう、ってやったんですよ。ぐるなび出して、馬場を指定して、半径300メートル以内で探したんですよね。」

私「ふむ。」

スタッフN「そうしたら、休憩時間に「先生、このパソコンは自分の居場所が解るようになっているんですか?それは個人情報としてどうなんでしょう」って聞かれたんですよね」

そんな会話が先程繰り広げられた。

実は先日、JADMAさん主催の会合?でシニア層も使えるECサイトにする為に、と言うお題講演をさせて頂いた。
その際に、講演材料として3名のシニアに2つのECサイトを自由閲覧して頂き、その際の視線の動きをアイトラッキングを利用して記録した。

長い。

何が長いって、トップページから次のページに移る時間が、20歳代若者に比べて(Twitterでは3倍と流してしまったが)5倍近く長かった。

明太子で有名なふくやさんのトップページの滞在時間
50歳代以上・・・平均65秒
20歳代・・・・・平均17秒

ケンコーコムさんが
50歳代以上・・・平均61秒
20歳代・・・・・平均12秒

どうも、「そのページが何であり、どこをクリックすればいいのか」という認知と判断がとてもスローペースになるようだ。

さらに、文字情報だと認識し、「商品名」と認知するまで時間がかかる。

今回は、この二つのサイトをお好きなように見て下さい、というお題だったので3人とも逃げ出さなかったが、そうでなかったら、認知できないまま帰っていたかもしれない。
(ふくやさんはトップにFlashがあり、そのメニューを選ぶのに時間がかかっているので一概に認知がとてもゆっくり、とはいえないですが)

シニア層も使えるウェブサイトだったり、シニア向けウェブサイトだったりするときに、もう、「文字の大きさを」というのは、もう、当たり前のこととして認識し、それよりも「文字数減らす!」とか「大きい文字と小さい文字のメリハリつける!」とか、「文字の代わりに画像に語らせる!」などなど、そういうことをきちんとしたほうがいい。

少なくともシニア層は、「何のサイトか」を認識するのにも時間がかかるのだから。

そして、最初のエピソードに戻ろう。

結局、受講生のシニア層は、「はい、高田馬場を選んで」「300メートル以内を選んで」とポンポンと指示されたので

「やったことはやったが、なにをやったのか覚えていない」

状態になっている、ということなのだろう。

その話をスタッフNにして、これからは講習時に、今、何をやったのか、当たり前のようなことでもしっかりともう一度繰り返すようにしよう、という話で昼休みが終わった。

参考動画
ふくやさん
60歳代女性1
60歳代女性2

ケンコーコムさん
60歳代女性
50歳代女性

シニア向けサイト、シニア層も使えるサイトを作るためのガイドライン(PR)

|

より以前の記事一覧