シニアビジネスの留意点?

今のシニアビジネスがどういう状況なのか、
最低限抑えるポイントは何か?

というお問い合わせを頂いて
個別に返信をしたのだが、
こちらにもつらつらと書いてみます。

つらつらなので、まとまりません。ご了承ください。

頭にボーッと浮かんで来た事
・ヒアリングに鍵は有れど、答えは無い。
・やってあげたい!とやってみたい!の温度差を知る。
・観察!観察!観察!とにかく話して見る。盛り上がってみる。
・ボールを沢山投げてみる。
・本人の気づかない加齢に気づく(優しくケア)
・どんなシニア層かを知る
・シニア層が瞬間的に変わる事も認識しておく(怪我とか、まだらボケが入って来たとか)
・元の性格に戻っている事を前提に考える
・本人のやる気を測る
・お友達の多さ
・楽しくする

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話しをすっ飛ばしてみる。
幼馴染の母達が、パートを辞めたらみんな喜んでパソコンを使わなくなった。
「仕事で苦痛だったから、パソコンを楽しいと思わない」
いやーん、ショック。
ネットが超便利!使って欲しい!と思っている自分としては
もっともっと、彼らに楽しいと言って欲しい。
恐いと思って欲しくない。

「やりたいのよね」
「もっと自由に使ってみたいのよね」

「でも、仕事でやっていて、楽しいと思わなかったの」

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ヒアリングをしても、「自分は出来ない」という答えが返って来る事もある。
そこから、何が出来ない問題と感じているかを聞き出す。
ずっと聞いていると、本人も気づかない「イイワケ」が飛び出す。

気づいていなかったり、気づいていたり、である。

だから、ヒアリングに鍵はあれど、答えは無い。
ヒアリングをして〇%の人がこう答えた的なモノは、「ヒアリング結果」ではない。


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色々な事を伝えたい、教えたい、やってあげたい。

しかし、本人のやる気ってとても重要だ。

やる気がない人は、手を引っ張られてもやらない。

どこまで手を差し伸べるかも、シニアビジネスをしていて疲弊しない為の匙加減だと思う。
思い入れが強すぎると、結構自滅する。(私は何度も自滅している。這い上がるけど。)

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高齢者になると、頑固になるのか、まるくなるのか、先日から社内で論議している。
答えはまだない。

でも、確実に、小さい頃の性格が煮詰められているんじゃないかと思う。

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本人の気づかない加齢がある。
子どもが直視しない加齢がある。
他人に言われると傷つく加齢がある。
だが、高齢者ビジネスは、その「加齢」にも優しくケアする必要がある。
10歳の子に「お姉さんね」というと喜ぶようなものだ。

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そして、高齢者は、突然、変わる。
怪我をする、友達が亡くなる、奥さんが亡くなる
色々な要因で、ガラリと変わる事がある。
そこを元気にするのは、人しかいない。
優しい人よりも、明るい人である。


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引き籠っていない人が言う。
「刺激が欲しいの」「元気が欲しいの」「明るくなりたいの」

その希望、かなえようではありませんか。

その希望がなくなった時に引き籠りが始まる。

趣味が色々あって大変なの!と言う人もいる。
いいじゃないですか。そういう大人、大好きです。
色々な事に挑戦して
新しい人に会って
新しい人から刺激をもらう事を
恐れない環境を整えてあげたい。

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結局、楽しい所に人が集まるんだよね。と言う話し。

楽しそうにしていれば、楽しそうになりたい人が集まって
楽しい雰囲気が出来る。

そうすると、やってみたいと言う気持ちも起きるし
なんとなく、人も集まる。

そう、何度も出て来る「楽しさの演出」
いわば、キッザニア的なサムシング、
それが、全てに見えて来た。

その為には、これは、私の持論なんだが
提供者側が楽しまなくちゃいけないと思う。

だからだから、シニアビジネスかかわりたいなーと思う人は
まず、目の前の商品を楽しそうに語れるかどうか
そこからはじめるのが良いのではないかと思うんだな。

あとは、やり方だから。

シニアビジネスについては
もっともっと語りたい事が沢山ありすぎるのだが
こんなに話が飛ぶようでは、まともなメールにはならないとみたので
こちらにて失礼いたします。

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やらない理由

はじめる理由を聞くのも楽しいが
はじめない理由を聞くのはもっと楽しい。

デモデモダッテ

パソコンを始めない理由は
 はじめて夢中になって他のものがおろそかになるのが嫌
 別に仕事で使うわけじゃないし
 必要最低限できれば問題ないし
 この年だし
 面倒だし
 別に、何するわけじゃないし
 何ができるか解らないし
 みんなできないし

いろいろ聞いていると
面倒というのは、ものすごい
ブラックホールワードなんだと思う。

年を取ると、とても腰が重くなる。
色々な
デモデモダッテが増えてくる。

できた+その先の
世界が見えるように提示するのって
難しいな、

でも、今、研究中。

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いろいろメモ

今回、もっともっとシニアのことを考えなくちゃいけないことがあり、
その時に出たメモを、メモとして残しておこう。

・大人になると、必要・不必要という軸が出る。
自分の人生の中で、それは必要か不必要か。
私が思うに、世の中の9割9分は、そういう分類でいうなら不必要だと思う。
ただ、自分が自分らしく生きるために不必要は必要だ。
という哲学的な感じで?
その「不必要」と思わせるサムシングを解明して
それは、彩に必要だよということを伝えていかなくちゃいけない。と感じた。

・不満な状態に気づかない
「何ができるのかよく解らないのよ」という人に対して
「なんでもできますよー。あなたのやる気があれば」というのは
正論だが正解ではない。

こんなやりたいこと、あんなやりたいことを色々提案していかなくちゃいけない。
特にシニア層は、想像力が摩耗してくるので
ワクワクスイッチをオンしなくちゃいけない。

海外旅行に出ない若い人というのが話題になったが
日本にいて色々な情報が得られるし
日本は安全なのだから(?)
海外に出る必要がないという意見もあり

多分、その「海外」を新しいものに置き換えると
シニア層の気持ちが解るのかなあと思った。
だって、今十分だから
新しいものを得る必要はない。
そこに、新しいものをねじ込むのはちょいと失礼なのかも。

ステキでしょー。いいでしょー

といわれても、
「はぁ・・・(早く終わってくれないかな)」という
あ、合コンで、自慢ばかりする男性みたいだ。
(幸運にも1度会ったことあるよ!)

しかし、自分もインドにはまっていた時には
どうしてみんなインドに行かないんだ、人生変わる!と叫んでいたから
人間というのは、自分が好きなものをごり押ししちゃうんだろうなあ。
ジャイアンツとかジャイアンツとか。

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情報の整理/追記

今、80歳近いIさんのプライベートレッスンをしていた。

Iさんはすごく昔からできる方で
メモの取り方も素晴らしいし、
復習もすごい。

が、いくつか「高齢化のサイン」が見られたのでメモ。

・大人になるにつれて情報の整理が苦手になる

うちの数学塾に通う大学生を見ていても思うのだが、情報の整理とはとても難しいらしい。
何が解っていて、何が解らないのか
その文章は何を目的にやっているのかを途中で忘れてしまうようだ。

Xだけが解らない状態であれば我慢できるが
Yが出てくるとちゃぶ台ひっくりかえしちゃうような。

高齢者になると、情報の整理が苦手というだけではなく
経験がその情報の整理中に混乱していくように見える。

途中まで以前と同じ操作だと
以前の操作が何のためで
今の操作が何のためなのか
よく解らなくなってしまう。

また、ショートカットも混乱のモトだ。
今まで、1,2,3とやってきたものを
1、3でやれますよ、という説明も難しい。
どうも、追記ができない仕組みになるようだ。

追記が難しい分
やり方を覚えるしかなく、
検索結果の上から3番目という覚え方になってしまうんだなと
なんとなく、自分の中で納得した。

#ブログ→Twitter→FBと流れて、結局「書きたい願望」はブログに戻ってきた。
自分の行動が不思議。
見てくださっている方ありがとうございます。
当面ひっそりとやっております(^^

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子どもが楽しいことは、大人も楽しい

メモ:今度の公式ブログはシニア女性と女子力について。


年を取ることは、年輪を重ねるようなものだと思う。
その年輪は、時として
角質みたいになってしまう。

「大人」という角質が
色々な挑戦を出来なくする。

年を取るとできなくなることが増える。
新しい情報を手に入れることが難しくなる。
(どうしてだろう?)

世代的な楽しい、も変わってくるだろうが
よくよく見ていると、
子どもの頃楽しかったことは、けっこうみんな楽しい。

御姫様ごっこだったり
合ハイで、ほのかな恋心だったり
歌だったり
知らない場所に行ったり
そういうのって、今も昔も変わらない。

女子だったら、綺麗なもの・可愛いものを持つことは
大人になっても心浮かれることなんだと思う。

最近、そんなことを意識しながら
女子力アップを心掛けているのだが
女子力トリガーがあれば
その辺のシニア女子は、
おっさん女子の私よりも女子力のアップ幅が広い。

何もしなければマイナスになってしまう。
マック赤坂じゃないけれどもw
マイナスからプラス、
ネガティブからポジティブ!

それを、今のシニアビジネスは
プラスとかポジティブとかばかりクローズアップしているから
中にいるシニア層は
それに疲れてしまうんじゃないかと思う。

マイナスから0へ。
0から0.1へ。
そうやって段階をつけていくことが
シニア層の消費を活発化させるだけじゃなくて
高齢化社会のモデルケースになるんじゃないかと
最近思ってる。

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○○なのに というキーワード

80歳なのに○○なんて凄いですね。
 
こういうキーワードは、周りがシニア層についてどう思っているのか
その制限事項を知ることができる気がしてきた。

全部の年齢に言えるんじゃなかろうか。
(ざっくりざっくり)

10歳なのに
 難しい本を読んでいてすごいね
 一人で遠くに出掛けるなんてすごいね
→庇護の対象

20歳なのに
 しっかりしているね
 いろいろ知っているね
 しゃべりがおっさんっぽいね
→若くて未熟、初々しい、大人への階段?

30歳なのに
 幼いね
 子どもっぽいね
→ふむ、30歳代でなにかが変わる。
30歳代なのにいろいろ知っているね、というのはない。
(私はよく戦前のことを知っているねと言われるが、それとは別)

40歳なのに
 若く見えますね
→ここから、こういう言葉が入るのか!

50歳なのに
 若く見えますね
→???

60歳なのに
 色々挑戦してますね
→ほう!ここだ!50歳代でたぶん、「人間としての結晶」みたいになるんだろう
で、60歳ではもういろいろな新しい挑戦をしないという思い込みがあるんだ。

70歳なのに
 パソコン出来るんですか?
→むむぅ、もしかしたら、周りが「高齢者」を作っているのでは。

ぬぬぬ

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最近のシルバー層に言われたこと

「65歳検診の手紙が届いて、年を実感した」
というのは仲良しのMさん。

再就職の定年日が近づき
誕生日が今までで一番億劫に感じられたとか。

80歳になったSさんは
好奇心がどんどんなくなっていくのが解ると。
それでも、体にムチ打って出かけるようにしているのは
出なくなると、できなくなるからだ。

Tさんは83歳でうちに通っている。
やりたいことは多くないけど
やらないとやれなくなってしまう。

70歳になったMさんは
最近、とても色々なことが面倒くさいらしい。

75歳になったTさんは
75歳になって、がっくり体力が落ちたように感じるとのこと。

元気な日本をつくるために
彼らの好奇心を向上させる、
体の元気も大切だし
心の元気も大切。

高齢化社会は逃れられないので
せめて、守らなくちゃいけないお年寄りよりも
楽しいお年寄りを増やすことで
見本となれるような社会にしたいな。

そのために現在企画中~

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アクティブシニア女性の分類

先日、突然電話がかかってきた。
(まあ、電話というものは、得てして突然なのであるが)

アクティブシニアって一言で括ってるけど、
ぶっちゃけどうなんですか、的な内容だった。
それも知らない方から。(笑)

アクティブシニア、と一言で括っても色々あるのは
若い世代も一緒。

その中で、今までの調査結果やシニア層へのヒアリング調査などを元に
汎用的な分類を作ってみました。

とはいえ、商品によって人の反応が違ったりもしますし、
娘・息子の有無、その関係などによっても
行動はだいぶ変わります。

が、差し引いても、大枠以下の記事のようなイメージだと思って頂いて問題ないと思います。

そこから、誰を幸せにするか
その商品を使ってどういう台詞を言ってほしいか
調査を通じてペルソナを作成し、
アプローチを考えていくのがいいと思います。

ところで、シニア層向けのビジネスを考えていらっしゃる方は
是非お気軽にご相談いただければと思います。
アクティブシニアも使えるためのECサイトユーザテストなどもお気軽に~

アクティブシニア女性の分類

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女性の切り札

よく、女性は「和」「コミュニティ」を意識して生活をするとか、だからコミュニケーション力が高いとか、色々な話を尤もらしく聞くが、先日、ふと、本当にそうだろうかと思った。
いや、それは、幻想なんじゃないかとも思う。

先日、近くで「うちの娘は嫁に行って孫も生まれて」vs「嫁に行かないけどキャリアウーマン」という比較にもならないような戦いを見てしまった。

自分自身のことで争っているんじゃないのに、大分、熱く、戦っていた。
そういう、かみ合わない会話を見ているのは結構好きなのだ。


シニア女性を見ていて思うのは、いつも競争の切り札が「他人」だ。
自分を切り札にしている人は、そもそも切り札を切ろうと準備をしていない気がする。そして一匹狼。

シニア女性の切り札は孫だったり、孫の学校だったり、イイ嫁だったり、娘が嫁に行ったことだったり、息子の勤めている会社だったり、息子の学歴だったり。(あ、夫が出てこない?)

・同じような切り札を持っている人同士は仲良くなるが、お互い抜き出ないように見張っている。同じようなものを持つ。同じような所に行く。
・全く違う切り札を持っている人は、たまに会うのにとても楽しい。たぶん、ライバル心を持たなくて済むから楽なんじゃないかと思う。

シニア層のコミュニティは、社交性と、ほんの少しのライバル心と、切り札で出来ている。



更に思う。
女性が得意なのは、コミュニケーションじゃなくて、おしゃべりだ。
誰とでも仲良くなる。社交的。#ただし、ライバルだと思うと排除する。妙なグループが沢山出来ることがある。


コミュニケーションとなると、少し話が変わる。
まず、相手の出方を伺う。シニア女性のコミュニケーションは、どのタイミングで自分の切り札を出すのかの空気の読みあいだったりもするのではないだろうか。

仲間内とのおしゃべりは得意だが、ライバルの評価が入ると、突然むき出しの闘争心を見せる。(もしくははなから勝負をしない)
異物(?)に対する敵対心もある。だから、シニア女性へのグループインタビューをあまり薦めない。
ライバルが出ると、自分を美化する。


シニア女性は「おしゃべり」はとても上手だし、面白いが、コミュニケーション、となると、そのコミュニティの中で微妙に誰かと切り札を出し合っているように見える。
コミュニティという枠の中で、相手の出方を見ながら、上下関係(この表現は違う、上下と言うよりも、切り札をどれだけ持っているかということ)を測っている。


だから、商品を提供する時や、サービスを開始する時には、シニア女性の自尊心、切り札勝負のどこに食い込むのかを考えながらやらないといけないなあと思う。
面倒くさいけど、それが「コミュニティ」なのだ。


と、思った。

#切り札を出し合わないシニア女性はとってもおもしろいんですけどね。自分自身が切り札だから、色々なものを超越している。

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セカンドライフの妄想、もしくは幻想

セカンドライフと言えば、多くの人は電通のバーチャルハッピーリタイヤメントを思い浮かぶのではないか。(そんなこともないかもしれないが、そういうことで話を進める)

社交ダンスに旅行、年金さえ入れば毎日遊んで暮らせる。
そんなシニア層をターゲットにシニアマーケティングを、まさか実行している人などいないと思いたい。まさかね。

まず、そこまで余裕があるのか、ということ。まず年金額をチェケラッチョである。
私の知り合いの比較的余裕がありそうなおじさまは、「今までと同じ生活ができない」ことにストレスを感じていた。絶対に退職金もがっつり貰っていそうなのに、減る恐怖があると仰っていた。

次に、退職をして、遊び暮らす、というのは、国民性なのか、少し難しいみたいだ。
もちろん、ハッピーリタイヤメントをしている人もたくさん知っているが、多くの退職したての一般市民は、リタイヤをしてから、情報に疎くなることに(世間から忘れられること、世間との距離が開くこと)に恐怖を感じているように見える。


退職をすると、情報に疎くなる。と言う話をよく聞く。

会社に行く、人に会うということは、意識しなくても情報が流れ込んでくるものだ。
例えば、若い女子社員の服装を見たり、話題を聞いたりのインプット、そして、誰かと話すアウトプットによって情報が流動し、自分のものになる。

誰ともしゃべらないところでは、情報は入りにくいし、発言する事もないので、咀嚼しにくい。(情報はインプットとアウトプットのバランスで定着するんだと思う)

実は、外に出ていると、見ること、聞くこと、考えること、話すことが自然な形で培われている。
10年以上前、マラリアで1週間ほど、病院の中だけでおとなしく(口の筋肉は衰えなかったけど)暮らしていたときに、病床から出た時に、「歩くとは、こんなに筋肉を使うものなのか」と実感した。そんな感じが、情報源との接し方にあると思う。当たり前だと思っていることは、意外とハードなのである。

おじいさま達が、「僕はまだ、現役だから。だから、彼らとは違うから」という言い方をする。現役で働いている「彼ら」の外側の「彼ら」は、現役でない人である。

その差は、現役の人は、大きいと感じている。退官した人は、あまり感じていないかもだけど。



定年退職をして人と会わなくなった、アウトプットがなくなったというだけが問題なんじゃない。そこに、加齢の問題が加わる。

いつか、この話を詳しく書こうと思っているが、先日、「歳をとると目が悪くなるから読むのがしんどくなる」という意見を聞いた。その通りだと思う。では、耳は大丈夫かと言うと、耳も多少遠くなる。知らない言葉を認識しづらくなる。認識しようと変換している最中に話が進むので話を理解できなくなる。自分の知りたい話だけを、自分の中で組み立てる。

そして、身体機能が低下していくと、少しずつ、少しずつ、情報を集めることすら面倒くさくなる。
新聞はルーティンで読む。テレビは見るともなく見る。
それをアウトプットしないので、考えがまとまらなくなる。

そんな状態が、定年退職後、意識しないとはじまってしまう。
普段のことを意識するのは難しいが、意識しないと、大きな差がついてしまうのだ。



だから「ウキウキハッピーリタイヤメント」などという言葉が、シニアビジネスに直結しているのかがどうもわかりにくい。
彼らと1年もほぼ毎日過ごしていれば解りそうなものなのに。
数字上の彼らには見えない姿が、生の市場にあるのに、どうしても、多くの人は数字で完結したがる。まあ、解りやすいからね。でも、解りやすいことには、得てして、誰かによってうまくまとめられているってこともあるんだってこと、忘れちゃあいけない。自戒の念。

ということで、セカンドライフの妄想、もしくは幻想、ちょっと水嶋ヒロに影響されて(嘘)文学少女っぽくタイトルつけたのですが、市場はそんなものですよ。と言う話。
お父さん、お兄さん、おじいちゃんに最後までウキウキイキイキライフを送っていただきたいのであれば、私は、ギリギリの負荷をかけて、甘えさせず、仕事をさせるというのが大切だと思うなあ。まあ、高齢者の就労については色々諸論ありますが・・・


以下余談。
そういえば、インターネットが発達して、地域差が全くなくなるというバラ色の未来(というなの妄想及び幻想)は、「東京はすぐに出会えていいな」「結局地方は遠くてね」という言葉で片づけられた気がする。

確かに、より自然体に情報源に近付けるのは、都会のいいところだと思う。
私は、東京で育っているので、その「すごい」と言われることをよく理解できていないのだが、たぶん、それは、日常の行動として、意識しないところに「情報源」があるんだと思う。たとえ、近所のユニクロでしか服買わなかったとしても。

#とはいえ、東京人は、どこにでも行ける可能性を持っているのに、比較的自分で自分の可能性を狭めているから「すぐに会いに行ける」「見に行ける」とするには、モチベーションが必要だとも思う。

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