教えるということ
今度は教える立場からいろいろ考える。
「教える」というのは、わかっていないことに気付くことだと思う。
決して教科書を読むことではない。
だから、よく解らない人が教えようとしても、「解っていない事」に気付けないから、うまく伝わらない。
教えることを考えないと、教えることはうまくならない。
自分でも初心者くらい教えられるという人は、たぶん、教えられない
初心者ほど教えるのに難しい人はいない。
共通概念がない、解るという意味が解らない。
答えがあっていればいいのではなくて
解き方が合わないと応用が利かないが
初心者は焦ってしまうので、答えだけ帳尻を合わせようとする
だから、混乱する。
習っている人はわかっているかどうかの判断が自分ではできない。だから、これは、教える人がしなくてはいけない。
となると、e-learningの限界がある。
映像だけ見て理解できるのは
解っている人で
解らない人は、自分が何で躓いているのかわからないので
ワカラナイ。
ふむ、今からやろうとしている通信講座で
この点をどうクリアするかが課題だ。
追記、
つまり、人の仕事は観察だ、ということだ。
分析の傾向は見えても観察は人にしかできない。のか?
教えるというのも、ただ教科書を読むのではなく
相手の観察を含めて教えるという行為ができるのだと思う。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 頭で覚える、ではなく、体が覚える(2013.05.29)
- 脳内恋愛相談(2013.03.18)
- 教えるということ(2013.03.15)
- 困っていることに気付くことは難しい(2013.03.13)
- 学びの手順(2013.03.09)