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宇宙人用語

シニア層や初心者層がサポートセンターに電話したり、お店に行ったりして一番パニクルこと。

それは「言葉」。

今日は朝から70歳以上の講座があるのだが、
「うちのウェンディーズが」(ピーターパン!もしくはハンバーガー?それともウェンツ君の聞き間違い?)
「うちのパソコンはデクストップなのよ!」

「ほら、パソコンによって閉じる画面が違うじゃない。シュートとか。」(撃ってどうする!本当に、終りだよ!)

思い出した。

昔、50歳代のA嬢は「マイクロソフト」を「ミークロソフト」といっていた。それはまあ、普通だが、その「ミー」の部分の声が裏返る。それがちょっとおもしろかった。「このミークロソフトワードってのは!」

今年88歳になるH嬢は、私が教室を始めた頃からの生徒さん(当時は81歳でした)ですが、「マミコさんは宇宙人みたいね。言葉が何を言っているか解らない」と良く仰っていました。

それ以来、私たち、教室運営スタッフに与えている職務の一つに「パソコンと、生徒さんとの通訳」。
とにかく解りやすい言葉で、比喩を使いながら概念を理解して頂く。(精神的に持てば)

言葉は生きているので、いつもいつも動いている。
去年の言葉はもう古いし、先日「超ムカつく。」と私がぼそっと言ったら「マミコさん、超とかって、久し振りに聞いた!!」と大学生に言われてしまった位だから、言葉をUpdateしていくのは、三十路にしてもとても大変だ。

ある年になれば、きっと、古い言葉を守ろうキャンペーンを始めるんだろう。(美しい日本語は好きだが、生きている日本語も好きだ)
その「新しい用語」にパソコンやインターネットの用語が含まれている。
理解するまでに時間がかかる。瞬間的に理解が出来ない。

新しい世界に行くと、何となくわかる。
私は100年後に理解される芸術を目指して、陶芸をやっているのだが、先生が仰る用語が解らない。
「○○使うと良いですよ」

なんどか聞いた言葉なので、どれか解らないと言う事も(見栄で)言えず、とりあえず、全部道具を並べてみる。先生が「これこれ!」とさして下さるのを、ちょっと待つ。

ところが、流石に2年も陶芸を続けるようになって、ようやく言葉が解ってきた。
先日、東急ハンズの陶芸用品売り場に行って「おおお、この用具の名前が解るぅ!」と本当にうれしくなった。

パソコン用語って、初心者の方に取ってはそんな感じなんだろう。
知っている言葉は使ってみたい。でも、使うのが恐い。言われている言葉が何を指すのか直に理解が出来ない。
それがカタカナなので、さらに理解が難しい。

「マイクロソフト 富士通」ってそりゃどこから突っ込めばいいのか。

でも、必死である。理解しようと必死。

ウェブサイト制作者は、少なくとも必死な人を振り切るような、千尋の谷に突き落とすようなことはしなくてよいのです。
教育の場合は、時に、必要かも知れません。這い上がる強さを求める事もあります。
が、商品を販売したり、自分の商品を知ってほしい、会社を知ってほしいウェブサイトに、「あなたが勉強しないとこのウェブサイト、使わせてあげないんだからっ。勉強してよね!あ、あなたのことを思って言ってるんじゃないんだからね!」とツンデレしなくてもよい。(ツンデレって、もう死語になる?がちょーん)

ということで、言葉はウェブサイトの使いやすさにとっても重要、解らないウェブサイトは全て宇宙人語に見えているんですよ、ということでした。

ということで、久し振りに宣伝
シニア層や初心者も使えるウェブサイトにするためのガイドライン(結構絶賛?)販売中。解りづらい言葉も一覧で入ってますよ~

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自己責任の考察

こんな記事発見
「便利な道具に振り回される人達」に振り回されるのは、もうこりごりだ!(駄文にゅうすさん)

最近、弊社のパソコン教室に新規の入会者の方がとても多い。
かれこれ5年位、もう、パソコン教室は終わりなんじゃないかと思っているのだが、なんだかんだいって、新規入会者は増えている。(私は超絶悲観主義に基づく対策を取る傾向がある。)

最近の入会者の傾向を見ていると、「自分はちょっとはパソコンを使える」と仰る方が多い。
ただし、「振り回されている。」

先日、某氏と、氏の奥様(30歳代)がパソコンが得意ではない、と言う話になった。
「感覚的に理解できないんだよね。こっちは理解できない事が理解できない。たとえば、思った画面と違うものが出た時に、僕はこうやったらできるんじゃないかなあと思うのに、彼女はそこで固まるんだよね。だから、音楽のダウンロードとかボクがいないとやらないんだ。」

何が起きるか解らない人に「自己責任」を問うのは問題である。
自己責任とは、どのような事が起きるか、それを実感しているか否か、なのだと思う。
○○は自己責任でお願いします、というのは、提供者側が責任をとらないよ、というのではなく、使用者が、エラー時に対処できるかどうか、エラーがどんな状態なのか考えてから行動してね。と言う事なんだと思う。

昔々、若かりし頃、Wさんというおじさまが、「パソコンの調子が悪いので、パソコンを再セットアップするといいらしいね。だから、再セットアップをしてほしい」と私に頼んだ。
私は、やってしまった。その後、Wさんは「中のデータが消えた」と激怒された。バックアップを取らなかった自分がとても悪いのだが、(確認をしなかった自分が超絶に悪い。)「再セットアップ」はパソコンの調子を良くするためのものではなく、パソコンを出荷時に戻す、その「出荷時」の意味をお互いに同期してなかったのが原因。

調子が悪い→再セットアップ(ただし自己責任)

の「自己責任」の部分は、再セットアップをしたらデータが消える、という「結果」が見えてない状況だから、彼に「自己責任でお願いしたのじゃないか!」と言うのはナンセンスだし、結果が見えていない人に自己責任だ!と迫るのは、どちらも幸福になれない。

自己責任の結果が見えていない人ほど、”自己責任”が求められる事を”安いから”という理由でしたがったりもする。「最悪、壊れるかもしれませんよ」と言っても、「壊れる」イメージが持てないんだろう。だから、「自己責任」と言われても理解が出来ない。

私はインドが好きだったので、よく一人でインドに行っていたのだが、これこそ「自己責任!」を問われることなんだろう。(良く解らんが、インドはそういうイメージがあるのだろう。人が平和に暮らしてい(た)るのに、どうして、勝手にとても危ないと思うのか、危ない場所があるからか)

ということで、自己責任の一端として、私は危ないところには出入りしない。(もちろん、日本も同様に、いろいろ危ない所がある。それは興味本位で行ってはいけない。それこそ”自己責任”だ)
遺書も念のため、したためておく。この場合、最悪の結果は「死ぬ」以上に何かに巻き込まれて遺族や外務省やらなんやらに迷惑を掛ける、と言う事である。(と、私は定義した)
となると、そこから自己責任の範囲が解って来る。やっていいこと、悪い事が解る。自己責任とはそういうものだと思う。どうにかなるよ!とは思っているが、それを完全に運任せにしている以上、運任せの人に「自己責任」を説いても、起こりうる最悪の事態を受け入れる覚悟がない人に、「それは自己責任」と説いても、馬の耳に念仏、である。
#とはいえ、すみません、マラリアになりました。親に心配をかけました。ええ。一生献血が出来ない役立たずです。ごめんなさい。でも、インドはいいところです。乾期のガンジス河は、人生が変わります。美しすぎて。OSがウィンドウズからマックになるくらい、変わります。

ということで、解らない人に、解る事を求めるのはもう止めましょう。起こりうる色々な事態を考えながら、サービスとして提供をしましょう。
そこに対価(お金だけでなく、感謝の気持ち)を見出さず、小間使いの様に思われているのなら、縁を切るしかありません。
お互いが気持ち良くなれない事を無理して、葵の御紋の「自己責任!」は、お互いが不幸な気がする。


うちのシニア・シルバー層は、「自己責任」など求められていない。私達も求めない。
それが、本当にいいことなのかどうかは置いておくが、こちらの目の届く範囲で放牧している感じ。(羊飼いの話がしっくりくる。)目の届く範囲内だけでやるということはそれ以上の発展を望めないとか、甘やかしてしまうなどその問題点も多いが、”自己責任”という言葉を受け入れられる覚悟がない場合には仕方ないのかな、と思う。

人を育てると言うのは、難しい。

自己責任、と言う覚悟は、「人を責めてはいけない」「人のせいにしてはいけない」「自分を守れるのは自分だけである」「死ぬ時は一人」ということを、心の底から認識する事だと思う。政治のせいだとか、なんとかのせいだ、と人のせいにする人に自己責任という重い言葉を求めちゃいけないと思う。

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