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経験年数の不思議

正直、経験、と言う言葉が、好きではない。
まあ、経験だって時にはいいけど、経験に頼っていて、それが大成功であると言う人にあまりあった事がないので、経験があるから私に任せろ、みたいな人は、少し距離を取るようにしている。お医者さんとかは経験がある方がいいのかなあ。良く解らない。

ところで、経験である。
インターネットを利用して10年経つから自分は経験が豊かである、と言うのは100%本当ではない。
先日いらしたW女史(52歳)は、インターネットはバリバリ使っており、1日に大量のメールを受け、mixiで遊んでいるが、とある求人サイトを使えなくてうちに来た。申し込みが出来ないといって、マンツーマン(つきっきり)を受けて帰られた。「経験」があまり役に立っていない。(のか、そのサイトがダメダメちゃんなのか。)

良い経験と、拘っちゃいけない経験があるのかも。
今朝、とても早く起きてしまったが、余りにも寒かったので登山の本を読んでいた。(銀嶺と言う本だ)
経験がある登山家は色々な事に対処できる。経験で判断できる。経験がない人はミスをする。天気を読めない。
とはいえ、経験が絶対ではない。最後に経験を積んだ主人公格が亡くなる。(一つの死体には一つのドラマがある。)
また、経験を積めるのは、いわば「天才」だけなのかもしれない。途中で出て来るかき乱し系女子は、思いこみや自意識が高すぎて経験を積めないタイプ(経験を曲解するタイプ)であった。「あの子は登山の才能がない」と他の人が言うような感じ。そう言う彼女は、いくら経験を積んでも、身にならない。そう、身にならない経験なら、経験などない方がいいのかも。
#ちなみに、高所恐怖症の私には辛い本でしたが、内容は期待してなかった分面白かったです。すんごい古い本ですけど。山に登るとか、そんな高いとこ!想像力のスイッチは完全OFF。

62歳のO氏もインターネットは相当使っている。相当使っているのだ。十年近く触っている。
さらに、仕事ではインターネット検索が必須だ。
しかし、遊びでは使っていない。だから、新しいサイトを見ると使い方が解らずに戸惑う。
そして、昔のサイトに戻りたがる。

今日購入したとある本に、これからのシニア層はIT音痴がなくなるよ!と書いてあったのをちらりと見たが、それは無いなあと思う。なんとなく使える人たちは、全てのサイトに対応できるわけではない。ユーザーを飼いならしたサイトだけが(例えば、Yahoo!とかMixiとか)正義である。(マサヨシさんじゃない)

若い人でもそうだが、初見で使えると言うのは思っている以上に難しい。
それはインターネット経験年数なんて関係ないんだと思う。

若い子が楽しいのは、遊ぶ力があるから。年を取ると、今の安全な状態から抜け出すのが怖くなる。(これも経験的に、今までのであれば安全だから。)
なので、応用力が利かなくなる。これは、本当に本当ですよ。

加齢の問題も発生し、これからのシニア層がITを、というより、インターネットを完全に使いこなす日は来ないと思う。制作者とか、システム関連の人じゃない限り。
SaaSとかも発達していく上で、これからの議題は、いかに使えない人でも使えるようにするか、と言う事だと思う。使える人に頼るシステムはこれからどんどんなくなるだろう。マクドナルドのマニュアルみたいに、誰でもそれなりにできるためには、細かく、使いやすくなくてはいけない。たぶん、来年はそんな感じだと思う。

明日で本年の業務が終了します。
今年も一年ありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
来年がみなさまにとってワクワクでありますように。

モリマミコ拝

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Yes or No?

イエスかノーかはっきりしてください!

と、人生の?2択を迫ることは、あんまり多くない。(気がする)

ところが、実は毎日迫られている。

パソコンに。

「・・・しますか?「はい」なの?「いいえ」なの?それともやめちゃうの?どっちなの?」

あの怖ーいアラート君が迫ってくる。

「お風呂なの?ご飯なの?それとも家から出ていくの?」

そんな感じの恐怖感。

W女史は53歳の若手だが、この手の迫られに弱い。

「この間は”いいえ”、って押したら消えちゃったから、今日は”はい”って押したら消えたの!」

うぐぅ。落ち着いてください。「深呼吸!」とかかれたプラカードを思わず出したくなる。


「メッセージの内容によって違いますからねぇ」と大人の余裕を見せる私。

「じゃあ、どっちを押せば正解なの?」


「ど、ど、どっちという2択ではなく、その文面を読んで、それに合わせて”よいよい”とするか”いやん”とするかの違いです。」

「解らないから右上の×を押したら変わらないの!」

「そうですねー。右上の×はなかったことにしよう!という意味なので・・・」

「で、どっちなのよ!」

このアラートが私の小さい心を痛める。迫られるとパニックになる。
「上書きしますか?」という言葉に迷う。
「既にファイルがあります。上書きしますか?」という言葉と迷う。

たとえば、ファイルが保存できたかを確認したいという。
そして、なぜか、ファイル→保存→で確認をする。
「あ、あった」と喜ぶ
そして、それを「開こうと」ファイルをダブルクリックし「既にあるよ」とメッセージが出てきて「あるのはきまってんじゃーん」といいつつ「上書き」をしてしまう。

そして、絶叫。

ウェブの使いやすさもそうだけど、エラーがユーザーを迷わせなければ、もっともっと、使いやすいものになるのになあ。と思う。そして、私の心の平穏も・・・。

イエスorノー(もしくはキャンセル)ではなく、どうにかならないものだろうか。本当に。

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クリックとダブルクリック

大は小を兼ねる

じゃない。と、年末に叫びたくなる。

どうも明日までに年賀状を出さなくてはいけないとかで、12月の頭はお祭りだった教室が、今は悲壮感があふれるような教室になっている。余裕がある人は年内の通学を終え、年末の用意に余念がない。つまり、今いらっしゃる方々は パソコンがうぐぅ。とか うおぉぉぉぉ、パソコンが壊れた! みたいな、そういう、方が、多い。

66歳になるS女史は、焦りやすい性格なのだが、いつだって、ギリギリである。ギリギリだから、焦る。

長年のお付き合いであるが、(最近は年に1回だけど)普段は、本当に普通の方なのだが、ちょっとしたパニックなことがあると本当に驚くぐらいの慌てた行動をし出す。

ゆっくり気味のパソコンから宛名面がでないと慌てた電話があった。「午後、行きますから!」

いらしてから見ていると、あまりにも焦るので、何度もクリックしてしまい、それがゆっくりパソコンをフリーズさせている原因となっていることが解った。解ったが、それはパソコンの問題というより人的問題なので、「息吸ってー」「はい、はいてー」みたいなことしかできないのが悲しい。

そして彼女が叫ぶ。

「クリックなの?ダブルクリックなの?」

「ダブルクリックは、2回クリックなの?なんかいクリックするの?」

「クリックと、ダブルクリックはどう違うの?」

「今のクリックは何回なの?」

そう、とても多くの人は、クリックとダブルクリックの違いがつかない。
だから、ソフトとかでも「1回クリック」とか「2回ダブルクリック」など「お腹が腹痛」みたいなことが書いていないと一瞬解らない。

Sさんだけじゃなく、61歳のWさんも、クリックするときに、さりげなくダブルクリックをしている。
大は小を兼ねると思っているんだろう。

そういえば、私もうまくクリックとダブルクリックの違いがわからない。
シングルクリックの設定にすればいいじゃないかとK君に言われたが、それは、フォルダ内に出たときに思わずクリックしてしまい、開いてしまうのでイマイチなのである。マウスを当てた瞬間に「これを開くならダブルクリック!」とかいうメッセージが出ればいいのか、キーボードに開くボタンを付ければいいのか、ソフトを起動しすぎたときには「はい!深呼吸!」というメッセージが出ればいいのか。

正解はでないけど、なかなか悩ましい年末です。

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気付かない事はわからない

仮説力は気付き力だと思う。というようなことを、先日誰かと話した。
仮説を立てる前に、気付く力をいかに養うか。
今の家に住んで(おおっと)もう10年経つが、未だに新しい店を開拓したり、新しい道を見つけると、10年経っていても何も見ていなかった自分に驚く。毎日通っているのに、しばしばその場所を見るのに、見ている振りだけをしている。

知人が言った。
「若いって事は、全てが刺激なんだよ。年を取るとそれがルーティンになっていく。」
若い時や教室を始めた頃には生徒さんの一つ一つの行動が衝撃だった。経験を積んで、本当は新鮮なことなのに今までの区分に組み入れて「よくある×2」みたいな感じでかってに自分の中で分類してる。
なので、学生のアルバイト君と話したり、外部の人と話すと、色々なことに気付き、感動する。そして、自分の老化に時折落ち込む。

気付きというのはとても重要だ。気付かないでも生きていける。
気づきを支える、提案するのも私達の仕事だ。
たとえば、普段は雑草など気にしなかった事をデジカメを持つようになってそれをも美しく感じられるような。
いくつになっても人生に伸びしろがあるとお互いに思えるような仕事場作りも私の仕事である。

ところで、弊社はIT講習会を請け負っている。
その講習会でいらっしゃるのが大体月4,50名。殆どがシニア。(時折若い人もいる)
リピーターの方もいらっしゃるし、初めての方もいる。

初めて講習を受ける方には、OSはOfficeのバージョンを聞かなくてはいけない。
まったくのパソコン初めて講習の場合は、いつごろパソコンを買いましたか?という話をする。
「結構前。」とか「2,3,4年くらい前かなあ」と言われると、XPなんだかVistaなんだか解らなくて少しなきたくなる。

少し触っています、と言う方にはOSを聞く。
ただし、「OSはなんですか?」と一度聞いた時に、「そういうのが解んないと、講習は受けちゃいけないんですか!?」と怒られて以来、「左下のボタンはスタートですか?それとも黒丸ですか?」と聞くようにしている。

しかし、「え、そんなこと言われてもきづかない!」とか、「見たことがない」(そりゃないよー!)と言う人が大半である。
気づかない事は解らない。気づかないということは、見えてないってことだ。

ユーザーテストをしていても、見えて無いって事は、存在が無いって事だってことを良く思う。
作る人は、使う人が作る人と同じ物やことをみているんじゃないってことを心のソコから納得しておかないといけない。

最近、ソフトのマニュアルを作ることが多かったのだが、サポートの欄に「お電話の際にはOSをお知らせ下さい」みたいな文言を入れていて、ムムムとなった。(入れちゃったけど。スペースないし。)

「SOSのSが抜けてるんですけど、脱字ですか?」とかって言ってきそうな色々な方の顔を思い浮かべながらムフムフ笑っていたらうちのスタッフに怪しまれた。電話で「SOSです」なんて言う人見たこと無いなあと妄想が空を飛んでいく。

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高齢者はパソコンが苦手?

自己申告の”リテラシー”って難しいなあ。

60歳以上の高齢者におけるパソコンの普及実態を把握するため、周囲におけるパソコンの所有率について尋ねたところ、「周囲の半数以上がパソコンを所有している」という回答が7割を超えた。こうしたパソコンの普及度もリテラシーの向上に大きな影響を与えているようだ。

 また、日常生活におけるパソコンの使用頻度については、60歳以上・未満において「毎日」と回答した割合が、それぞれ全体の94.8%と95.5%。ほかの年代同様、60歳以上の高齢者にとってパソコンは毎日の生活における必需品となっている。


「高齢者はパソコンが苦手」はウソ、毎日パソコンを使う人9割超える【高齢者のパソコン・ネット利用動向調査】

そもそも60歳以上って高齢者なのか・・・。まだまだ若いのになあ。最近の感覚だと、後期高齢者が初めて自分のことを「高齢者」と認識している気がする。70歳くらいまでは「中高年」の一部な感覚。

ところで、先日、10年近くインターネットを利用している方に対してヒアリングをしたが、皆さん毎日PCを使ってインターネットもしているが、ウェブサイト散策の感覚が若者と違う。どう違うのか、上手に表現は出来ないのだけど、作るメニューが固定されている家庭料理、ってとこだろうか。

そして、身体は衰えてきている。50歳代前半くらいから老眼を意識して、60歳代は老眼も体の一部です。(老眼じゃない人もいるけども)
確実に視野が狭くなる。

ネットに対するリテラシーが高いからと行って、若者と同じ感覚ですよ。というわけではない事を、制作者側はきちんと理解しなくちゃいけないなあ。


ところで、うちでアルバイトをしてくれる学生さんを募集していた。
パソコン教室の先生を募集しているのだから、応募する人はきっとパソコンが好きに違いない。と思っている。思っていた。

しかし、最近の募集では、あまりパソコンで遊んでいない人が、多少パソコンを使えるからと募集してくるようになった。パソコンを使えるレベルと言うのが、正直、「教えるバイト」としてはとてもとても微妙である。

Office系の知識は、若いんだから直ぐに吸収するだろうと(若いんだから、と思うのは老化の証拠)思うのだが、それ以上にパソコンの概念やらパソコンと遊ぶやら(まあ主にインターネット)というのが、最近の若者に無い。よくよく聞くとケータイでするんだから、パソコンはレポートを書くくらいしか使わないという。保存とか、フォルダとか、なんとなくやっているけどという人が多い。

確かに、母校の中学に教えに行って7年くらい経つけど、何となく使えるから、それ以上発展する必要が無く、もっと早いやり方とか、効率の良いやり方とか、あまり考えなくなっているなあ。と思う。そこそこ使い易いから、ある程度でそれ以上の発展が無い。

パソコンと英語、というのはとても似ている気がする。
使わなければそれで済んでしまうし、学校でナガナガ勉強しているくせに、あんまり上達しない。
日常会話レベルならばどうにかなってしまうので、ほにゃらら英語を振りまく。(私もそうだけど。私は小学校から英語が必須だったのに、ぜんぜんダメ。自慢できない。ほにゃららヒンズー語と混ざる)

教室業にとってはありがたいことなんですけどね。

今時パソコンなんて、仕事か、恋愛か、高齢者のおもちゃなのかもしれんね。と思う日曜日。

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