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踊る人、見る人、雑誌で確認する人

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン

踊る人がいる。踊っている最中は自分がどんな姿かは見えない。
でも、「オレって超かっこいいんじゃない?」と思っている。

踊っている人を見ている人がいる。
踊れないのか、踊らないのか、見ている。

その記事をメディアで確認する人がいる。見ている人は踊っている人の面白そうな談話を混ぜつつメディアに紹介する。「ふむふむ、みんな踊っているのか」「なるほどー、傾向はこうなんだな」等等。

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団塊世代情報に踊らされる団塊世代

仮説を作るためにいろいろヒヤリングをしている。

「○○さんは、こういうとき何を買いますかねー」というざっくりしたヒヤリングが毎日、色々な人に誰にでもできちゃうのがうちのよさなのである♪(今回の仮説設計は趣味じゃなく仕事。)

そしたら、みなさん口を揃えていうんですよ

「団塊世代って夫婦仲いいって言うから、いつも一緒なんじゃない?」

「○○さんは?」

「いやー、うちは、いいよ。」

「○○さんのお友達は?」

「いやー、長年いたら飽きるでしょ」

「じゃぁ、誰が仲いいんですかね」

「団塊世代でしょ」


以下ループ

団塊世代は「自分たちは・・・と言われている」という。
それは、「自分以外」だったりするのだけど。
自分自身が団塊世代情報に踊らされることもままある。

実は、団塊世代の特徴は、それなのだ。
どう思われるかってことだ。そういう視点でデータを見ないと、私たちもデータに踊らされる。

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私は戻るボタンが好きよ。

戻るボタンが好きだ。

私じゃなくて、シニア層が。

あ、間違えた、戻る。

あ、前のもう一度確認、戻る。

あ、登録、もう一度確認したい、戻る。

あ、前のページに戻ろう、戻る。

人生がやり直し聞かないなら、戻るボタンは唯一やり直しが聞くボタンかもしれない。

しかし、そう、賢い皆様はお解りの通り。

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言葉にならない言葉は聞こえてますか?

表現できる言葉なんて、本当に少ない。
言葉のプロだって、どう表現すればいいのか悩むのに、素人の私たち(と、勝手にまとめる)が「どう表現するか」なんてとっても難しい。

表現は涙の一粒に叶わない、なーんて書いてみたり。

さて、なんでそんな話になったかといいますと、私たちは普段本当に多くのシニア層と毎日接して、ぼそっと漏らす本音やちょっとした使いづらい行動を見てきた。それはアンケートデータでは取れないものだ。

「こんな機能があったらいいと思いますか」というのは、意味がわからない。でも、あるとすごい便利、今まで無い生活がしんじらんなーい(団塊世代風に)ということは多々ある。ペットボトルのお茶のようなものだ。無い時は無いなりに生きていけるしあってもいらないと思う、でも、あれば便利(ちなみに、知り合いがおーいお茶をヤッホーお茶、といった。なんだかあっているような間違っているような。)

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年はいつとるんだろう

このブログをまとめている。変なことばかり書いてあって面白い。
年は相対的にとる、というのは2年前から変わらない持論で、いつのまにやら年をとっている。

今、私は28歳であるが、写真は25歳当時のものである。
はっきりいって、私はこのころから顔は変わっていないと思っている。
だから、この写真を見て、私にあったときに「お」という顔をされると、正直な話それはネタだと思っている。

「違うってビックリされちゃいましたよ、てへ」というネタである。
実のところ、自分ではこの写真とぜーんぜん変わらないと思っている。思い込んでるんじゃなくて、本当に思っているのだ。(力説)

中学時代の写真を取り出す。高校時代~大学3年までは太っていたので今の私とは違う。しかし、中学時代と今と大きく変わっただろうか?なんとなく違う気がする、でも、なんとなく同じの気もする。

お葬式の写真の話になった。
70歳でも××歳でも「60歳のときに撮ったいい写真があるから」って、そりゃぁ見合いじゃないから別にいいんだろう。若いのを使っても。でも、心のどこかで(自分のことは置いといて)「そりゃないぜ、ベイベー」とつぶやいている自分がいる。

「ふふふ、見えてませんね、自分のこと」と思っている私は、相変わらず自分のお気に入り自分写真(そういうのを提出しなくちゃいけないときがある)は1.5年前にパナソニックのユーザーとして撮ってもらったカメラマンさんの写真だ。たとえ「この写真、マミコさんに似てるわね」といわれ「いや、本人ですから」と心の中で突っ込みを入れても自分だと思っている。今と変わらないと思っている。多分、今私が死んだら、その写真をお葬式に使ってね、と家族に言ってある。(他にろくでもないのしかないから。)ちなみに、多分向こう5年間、見合いするとしたらその写真を使う。(笑)

お葬式の写真をアップデートするように年をとるのかもしれない。と、今日思った。


「若く見えるようにとってくれるの」という写真屋さん。

真実を写そうよ!と心の中で突っ込むが、自分の時はやはり「美しく写してね」と思うわけで、やっぱりそうなると富士フィルムのCMはいまだに画期的なんだな。「それなりのものはそれなりに。」

ほとんどの言葉が陳腐化する中で、この言葉のエッヂがまだ尖ってるってことは、自分自身が見えてない人がどれほど多いかってことだ。真実の自分に対するアプローチなんていらない。シニアビジネスに真実はいらないってこと。本音はいる。真実はいらない。どう思ってるか、どう思われたいか、成熟だなんて思われたくないのよ、口先は「成熟」とか「熟女」とかって言ってるけど。(ちなみに熟女は40歳代に対するほめ言葉であり、50歳代にはあまり響かない。40歳代で素敵な女性は「じゅくじょ!」って気がするが、50歳代はうーん、微妙。それって、団塊世代だからってのもあるんだろうか。団塊世代は熟女よりも「少女」なのだ。とても変だが。)

という話でした。

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シニアビジネスの現場

RSSで特定キーワードで色々ネットサーチをしていたら、こんな記事を発見
ご存知の方も多いのではないでしょうか。

席を譲らなかった若者

戦後の復興と日本経済の躍進を引っ張ってきた彼らが「よく働いたんだからゆっくり楽しもう」「若い人から尊敬されて当たり前」と思っているのも理解できる。

この記事は、この若者と高齢者の正しい論を語るわけではない。ただ、雑感。

シニア・シルバー層と毎日接していると「ちょっとオトナなのに、その言い方ってあり?」と思うことは正直、多々ある。私がシニアシルバー層ビジネスの最大のネックは現場だ。と常々言っているように、若者が「オトナ・おじいちゃん♪おばあちゃん♪」と理想としている像と、実際は大きくかけ離れているからだ。

だから、私は各種の本を見て「元気でアクティブなシニア」という言葉は実感しているが、あくまでもソレはシニアビジネスを肌で感じない人の言葉だと思っているし、データしか見ていないんだなぁ、とつくづく思う。シニアビジネスってそんな甘いもんじゃない。

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