ウィンドウズの終了
現在、新校舎開校のために大分に来ているのですが・・・
最初の練習部分で電源を入れる、切るの練習・・・
そこにいらしたおばちゃん
「あー、しっとるよー、しゃうとだうんちゅうやつやろー」
叫んでどうする。
大分の中心で電源を叫ぶ。
以上小話でした。
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現在、新校舎開校のために大分に来ているのですが・・・
最初の練習部分で電源を入れる、切るの練習・・・
そこにいらしたおばちゃん
「あー、しっとるよー、しゃうとだうんちゅうやつやろー」
叫んでどうする。
大分の中心で電源を叫ぶ。
以上小話でした。
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こんな商売をしていると、色々なことに驚かなくなる。
受信トイレがさぁと言われようと、ウィンドウズ86と言われようと、アベベかと思ったら(古!)アドベと言われようと、ポロショップと言われてなんだと思ったらフォトショップだったりしても、結構驚かない。私が驚くのは白馬の王子様が本当に白馬に乗って現れたときだけ。道交法違反で良くつかまらなかった!ってビックリすると思うから。
さて。
ご主人の経営する会社はネットでの申し込みがメインだというN婦人(68歳)。
パソコンは生活するのに欠かせないものである。特にインターネット。これがなければご商売が出来ない。
Nさんのご主人経営する会社のウェブサイトのSEO対策とかを手伝ってあげているため、ご主人の会社を手伝っているN婦人とはだいぶ仲が良く、NさんからSEO以外のことでも電話がかかる。
今日は「忙しいところごめんね」といいつつ、パソコンがカナ入力になってしまった、というSOSの電話であった。
パニックを起こしている人に説明をさせるのは大変である。
それも5秒に1回「忙しいのにごめんね」を連呼するものだから、話が途切れて困る。ごめんねを言う度にNさんの集中力が切れる。
「あのお、とにかく、落ち着いてください・・・」と言う私。
「すずきさんにメールを出したいのに「す」、ってうったら「と」がでてくるのよ!」
完全なかな入力である。
「では、時計のところを右クリックして・・・」と言語バーを出そうにも、パニクッて横に出るメニューがどうしても操作ができない。マウスが乗っかってくれないのである。
とりあえず、言語バーの場所を探して欲しかったので、画面のアプリケーションを全て閉じるようにと指示したら「あ、電源切っちゃった!」一時が万事、そんな感じである。「ソフトを閉じるってコトは電源を切るってことじゃないの?」「うーん・・・」
言語バーはどうやっても見つからないので、最終手段、Ctrl+F10で言語バーのショートカットメニューを出す。「」シーティーアールアイのキーボードね!」と彼女が仰ったが、もうそれもスルーである。突っ込むエネルギーは余っていない。
四苦八苦の説明の上、言語バーの「プロパティ」を出すことに成功する。私のエネルギーはとっくに切れているし、ウルトラマンだったらぶっ倒れてる。
N婦人「きゃああああああ」
私「どうしました・・・」
N婦人「私が、たくさんいじったからひらがなにチェックが入ってる!かな入力にもチェックが入っている!チェックが外れない!!!」
私(??プルダウンメニューが最新版ではチェックボックスに変わったのかな?)自分のPCを開いてプロパティを見ると・・・。
ああ、チェックボックスね。
見えないこともないわね。
確かに、これなら、チェックをしても外れないわね。
視覚ってのは大切だわね、とつくづく思ったのでした。以上、今日の小咄。
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シニア向けの教室をずっとやっているとしょっちゅう聞かれる言葉「難しいのはイヤよ。」だが、この言葉が出たら要注意である。
潜在的に「今からやることは難しい」と思い込んでしまっているため、3過程以上あるとパニックになる。
「やっぱり難しいじゃない!マミコさんはできるからいいのよ」
これが慣れないスタッフだと「え、でも、これをこうしてこうするだけじゃないですか、簡単ですよ」と言ってしまう。それが火に油、とんびに油揚げ(あれ?)。
「あなたたちできる人は簡単に言うのよ。私たちみたいなオバサンにとってはこういうのって難しいのに、そういうのを若い子は解ってくれない」そして、話はだいぶずれて世代の溝みたいな話まで言ってしまう。勿論、私は助けないで横で笑ってるだけなのですが(鬼)
これは別にパソコンが使えない人だけの話ではない。パソコンが使える人のほうがその台詞が多い。
いつもいつも「同じこと」をしているために新しいことに対する許容ができなくなるのだ。
つまり、Aバンクを毎日使っている人はBバンクの画面に行った瞬間にパニックを起こし、「Aバンクのほうが使いやすかった」という。そういうものである。
バリバリパソコンを使いこなしていると思っている人ほど、実はそんなことなくて、いつも同じ操作で日常は過ぎてしまうので応用力が聞かない。特に年をとると本当に応用力が効かない。見目麗しかろうが、若く見えようが、頭の中身は多くの人はウソを付けない。こう断言するとお友達のおじさんたちからいやあな顔をされるのだが、そうなのだ。本当に。
例えば、先日使える人を対象にユーザーテストをしたが、結局タスクは遂行できず「私こんなサイト見ないわ。いいじゃない、量販店に行けば。百貨店とかに行っちゃったほうが楽じゃない!」と捨て台詞を吐かれた。山奥までヒロに行かなくちゃ行けないかと一瞬目に涙が浮かんだほどだ。
団塊世代は使えますよーとか、「イマドキパソコン使えますよー」とか、多くの人が仰いますが、いつもと同じこと以外のサイトはナカナカ見づらいのである。実際問題、使えないのである。
あなたが「いつものサイト」であればいいが、多くのいつものサイトはYahoo!だったり、「使えてる」という人であればGoogleだったりするわけで、真似のしようがない。
本当に単純なことも、言葉一つで難しく感じられる。
「万事塞翁が馬」といわれるより「人生らっくありゃくもあるさぁぁ」と歌ってくれたほうが解りやすいのと一緒である。
若い人が「このくらい」と思っていることがシニア層に対してはすごいプレッシャーだったりする。
「わたしできるわよ」と思っている人が使えないサイトに出会ったときに嫌悪感はすごい。
「この会社、だめね」までなってしまう。プライドとはそういうものなのかもしれない。「だから株がさがるのよ」とか「だから先日の不祥事が」とか「売上が」とか、全然関係ないところまで飛び火してしまうのだ。「そういえばここに就職した近所の○○ちゃんは子供のころ・・・」とかである。
とにかく、「難しい」と感じさせないこと。
だからといってキャラクターとかなくていいので、どこをクリックすればよいのか、それさえ解れば第一関門は突破なのだ。あとは、別ウィンドウは止めようとか、そういう細かいことである。
玄関を開けてもらうこと。
シニア層は若者ほど忍耐強くない。よっぽどそのサイトに愛着があったり、向学心があったり、そのサイトがものすごくお得だという結果がわかりやすく明示されていたり、予備知識として知っていたり、そういうことがない限りは。
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いつもお世話になっているAさんから教えていただいた下記サイト
非常に面白いのです。
アクセシビリティをチェックするのですが、「別ウィンドウを開くときは別ウィンドウって言いましょう」とか「リンクは下線をつけましょう」など、シニア向けウェブサイトにも必要な事を、きちんと教えてくれるのです。
#とはいえ、試験版、時折「なんでそこにツッコミがはいるのぉ?」とアイスクリームを隠れて食べているのをばれたようなコドモの気持ちになりますが、その辺は診断終了後「そこはちゃうねん」とツッコミが入れられます。
よいサイトだとはなまるが出ます。忍者みたいなのかと思ったら、お花でした。(ネタバレ)
ユーザーテストでは解らない部分をこうやって測れるのは嬉しいですねー。
是非、アクセシビリティにご興味のある方はチェックしてください。
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団塊世代が定年退職を迎えるにあたり、各社様団塊世代の取り込みに躍起になっている。
団塊世代がどういう人たちか、と言うのはいずれ書くとして、多くの会社の悩みなのが団塊世代はどのようなウェブサイトを好むのか、そして、彼らがちょっと思っているのは「団塊世代ぐらいならインターネットの基本操作くらいできるだろう、だから特別にシニア層を視野に入れたウェブサイトを作らなくてもいいじゃないか」という気持ちがあるように思える。(実際、あると思う。)
確かに、今の65歳より皆さんが対象にする団塊世代の一部の人たちのほうがPCは日常業務に利用するため、他の世代に比べて使えているだろう。今、教室は連日満員御礼のありがたい状態なのですが、団塊世代の多くは「インターネットは簡単だから、そのくらいは簡単だよ」と仰る。
見るだけなら簡単である。料理もそうだ、食べるだけなら簡単である。
しかし、実際「操作をしてください」「作ってください」となると、実は色々な難しいことがあるということが解る。
会社で印刷をするなら、変な話「タダ」である。しかし、自宅に帰って印刷をしまくっていると実は印刷代もバカにならないことがわかる。となると、ピンポイントのページをピンポイントに印刷しようと考える。それがどうすればいいのか解らない。
会社を定年退職するとぐっと得られる情報量が狭まる。これは、今まだ働いている人には解らない感覚だろう。
私は東京育ちなので、「東京は情報がいっぱいあっていいね」と言われても、情報がある状態がどういう状態なのか解らない。多分、いっぱいあるのだろうが、解らない。
人間、幸せなときには自分の幸せが解らないものである。(情報が幸せ、と言う意味ではない。)今、働いている状態で情報は当たり前のように入ってくるが、定年退職をすると情報は自ら得に行かなくてはいけない。さらに、手足となる部下はいない。定年退職前の方も退職後の方もたくさん知り合い&生徒さんはいるが、定年退職後、すぐに「情報がナカナカ入らなくてね」と皆さん仰る。
情報を得るための最適な手段はインターネットである。なんせ、無料である。
使いようによっては様々な情報が出てくる。だって、部下はそうやって情報を引き出しては教えてくれていた。僕にもできるはず。
うちに通っている団塊世代で「インターネットができる人」は多いが、実際にその探し方や操作の視界の狭さ、ネットの常識などは「できる」の基準をもう一度見直さなくてはいけないところにきている。
レンジでチンするのも料理という人たちを、「インターネットを使える人」と定義するところに来ている。
「ネットを使えるんだったらそのくらい解ってても当然じゃない?」とか「それは常識だよね」というのは通用しない。「ボクはグーグルを見れます」と自慢げにいうおじ様もいる。「見れる」ってなんだ。ら抜き言葉は嫌いじゃ。と心の中でつぶやく。「ボクはインターネットとか、グーグルとかしてるもんね。やっぱり時代は2.0だもんね。グーグルさえ使ってれば2.0だもんね」というおじ様は多い。本当に本当に。
先日「やっぱりさあ、時代はSNSなんだよね。でも、ちょっと個人情報とか怖いじゃん」というおじさんがいた。じゃあmixiとか見たことあるのかと聞けば「それはちょっと怖いから。」
今の団塊世代は、自分の定年退職後がわからない。ようやくここのところ現実感が出てきた気がするが、心の中で「プレ団塊世代とオレは違う」と思っているように見える。でも、ここ5年、シニア対応してますが、大して変わってない。
つまり、どういうことかというと、団塊世代はインターネットを使えるだろうから、シニア向けのウェブサイトは必要ないと思わないで欲しい。彼らの最大の問題は「使えてる」と思い込んでることである。使えていると思い込んでいる人たちは使えないウェブサイトを見ると「このウェブはおかしいと思う。以上」である。そして、あなたのサイトはみすみす団塊世代を取りこぼしている。
使えることはいいことだ。少なくとも逃げられないから。最大公約数を狙うことはないが、せめて少しの配慮でウェブサイトを使えるようにしなくては、見たいとか、見ようとか、そう思った潜在的ユーザをとり逃すことにもなりかねない。
ちなみに、団塊世代の人たちに色々聞いていると、定年退職後の道筋をしっかりシュミレーションしていないひとが多すぎて驚く。彼らが焦りだしたときに彼らを受け入れるサイトこそが必要とされている。
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いろいろな方が「シニア層とウェブ操作」について書かれているので触発されて、現場に出て観察をする。
(今、まとめておりますので、まとめ終わったらトラックバックさせていただきます♪)
まず、「なぜ入力間違いが多いのか」「なぜ半角、全角で引っかかるのか」という疑問を解明するために後ろからじーっと見る。「いやん、照れちゃう」なんていうかわいい言葉に胸キュンしながら、じーっとみる。
すると、多くの人は、画面を見ていないという、当たり前のことに気づく。
だから、全角だろうと半角だろうと、文字を打っている時はなんにも考えていない。ただ、目の前にあるキーボードを追っている。だから、だから、ふと顔を上げるとめちゃくちゃなものを(たとえば、フォトショップをポトショップと打っていたり、タヒチをヒタチと打っていたり(実話。なんでやねん!)、読みながらキーボードを打っているので、「し」と「ひ」の違いがわからなかったり云々。)そして、軽快にEnterキーを押す。それはあたかも、一仕事終えたビールを飲んでるかの如く。
すると、当たり前ですが、間違ったものが出てきて、検索であれば間違った答えしか出てこないが、買い物かごなどにいたっては「エラー」が出る。しかし、彼らは打つことに必死だったので、何がどう間違ったかは判断できない。エラーが出た瞬間にパニックになる。オタオタ。それは、かっこいい人としゃべったのにあとで鏡見たら前歯に青海苔ついてるよ!と知った瞬間の如く。
全角、半角は打ち終わったあとには気づかない。だって「打っている」。
なのに、いくつかの会社は「住所はすべて全角で」「住所の英数字は半角で」などと小難しいことを仰る。それがシニア層がウェブサイトで買えない原因となる要因のひとつ。
たとえばさらに。
昨日は50歳代前半の、「あんまりパソコン使えないのよぅ」という奥様に申し込みフォームを入力させてみた。(ご本人が申し込みしたがっていたので!!)
これも現在「まじめに」まとめています。ギャグとか挟まずに。
いつもだったら途中から「ああ、代わりにやってあげますよ」と言ってしまうのですが「ここはしとつ、我慢しよう」と江戸っ子さながらに自分に言い聞かせ見つめる。
以下奥様と私。
ちなみに買う商品はレンタルサーバ。ご商売で使うのに。。。ということである。そういう時代。
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正直、団塊の世代と、68歳のウェブ操作は違う。
「慣れの問題もあるよね」と人は言うが、そんなこともない。
一つのものを見て、ああもできるね、こうもできるかも、前もこうやったけど?と出るのが50歳代、「え、もうそんなに覚えられないよ」と嘆きだすのが68~75歳。75歳からは意外と分かれる。やはり昭和ヒトケタの壁だろうか。人によっては「もっと単純に、ぼく、パソコンで仕事するわけじゃないもん」という人もあれば「もっと、もっと応用なことやりたい。覚えられないけど、学ぶって楽しいよね」とおしゃべりするだけで胸キュンな人もいる。
さて、今日朝78歳になるSさんがいらした。
73歳からうちに通い始めている。5回目の年賀状シーズンである。
ところが、今年は、確実に頭が固くなっている。去年できていたことが、考えられなくなっている。
「3分間クッキングのような操作」が入ってしまった瞬間に発狂に近いような嘆き声を上げるのである。「勘弁してよ、もう、ぜんぜんわかんない・・・」
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お知らせです。
金沢にパソカレッジがオープンいたしました
お近くで「お母さんパソコン使えないから」「お父さんに使わせたい」という方、ぜひご紹介くださいませ。
金沢市八日市出町1街区7
電話番号 076-216-5111 です♪
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シニア層を対象にウェブサイトのユーザーテストをしていると、色使いによって見えない文字、見える文字が出てくる。
文字が小さすぎるともしくは行間が狭いと、それは壁の落書きのようなものであり、「最初から読む気がない」。
たとえば、その点について「○○とありましたが、そこについてはお気づきでしたか」と笑顔で言うと「あっらー、そんなこと書いてあったの?やっだー、こんな小さい文字、気づかないわよぉ」となる。
気難しい?男性の場合は「君は、こんな小さい文字、見せる気ないね」と逆切れされる。いやいや、私に怒られても。
しかし、文字の小ささをここで言うのではない。
読まれないのは文字の小ささもさることながら、全体的な配色もシニア層の「読みたい心」を誘うためにとても重要な項目である。
特に女性は。
個人差はありますが、目の老化は40歳ぐらいから始まるのが普通のようです。具体的には、近くのものが見えにくくなる、あるいは視界全体が淡い黄色のべールに包まれたように映り、濃紺と黒を見分ける力が衰えてきます。この理由は、有害な太陽光線や紫外線から網膜を守るために、目の水晶体(レンズにあたるところ)で、皮膚と同じようにメラニン色素が生成されるからだといわれます。
年をとると、なんだかちょっと派手な服もしくはとことん地味な服が増えるのも、水晶体の問題であるといえます。先日久しぶりにお会いしたKさんの奥様も眼の手術をして水晶体を人口のものに変えたらすごく色がきれいになったとのこと、シニア層が「このページは地味で読む気がしない」というのは全体的に彩度が低いウェブサイトで「文句」として扱われます。「っていうかー、このページ、暗くない?こういう地味なのってあたし、きらいなのよねー」と、本当にそういうんです。女子大生の台詞ではありません。おそろしや、日本。おそろしや、シニア。
色数が4色ぐらい、それも関係のない色数が使われている場合、得てして「目がちかちかして何処を見ればいいのかわからんばい」と言われます(方言は嘘です)。確かに、色数が多いウェブサイトはマルタイ(対象リンクの場所)見逃し率高い。目線がちらつくので、それでなくても集中力のない彼らには、何処を見ていいのかわからない。それはあたかも、かっこいい男性が100人中30人くらい居るパーティでどの男性を見つめればいいのかわからないような(笑)
地味なページは読み飽きられます。1画面におさまる程度の地味だったら良いのですが、地味のまま永い画面だと「地味ねっ。ふっ」という言葉を残しながら、「地味だと、どの画面見てるのか忘れちゃうのよね」と集中力の無さ全開のシニア層がつぶやきます。「さっきもこの部分見てた気がする」。
昔、黒い服がはやったときに、知り合いが「全員同じ顔に見える」、そんな感じです。
では、よい色使いのサイトとはなんでしょうか。
当たり前のことなので、書くのも恥ずかしいのですが、さらに、必ず「そんなの若者と一緒ジャン!」といわれてしまうのが切ないのですが。
重要なところを大きく違う色で。
明度を明るくして、2色ぐらいに抑える。
色数は同じ色彩にする。
わかりやすい画像を使う。
そう、結局目の疲れたプログラマも同じ感じなのでしょうか。
読むのに疲れないこと、何処を読めばいいのか解ること、読み飛ばせること、それを手伝うのが色彩だったり、画像だったりするわけなので。
シニアとウェブサイトの色彩 以上。
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シニア層は「言い訳消費」をする。
購入にも、買わないのにもいいわけが必要だ。
例えば、旅行。高額旅行をするのも「だって、もしかしたら人生でこんな旅行をするのは最後かも」
やすい旅行をするなら「だって私、たくさん旅行したいんだもん」
高いランチを食べるのは「だって、皆が食べてるんだもん」(だから会計は結構せせこましいです。)
高いランチを食べないのは「だって、今月オーバーしちゃいそうなんだもん」
色々な言い訳をつけてシニア層は消費をする。勿論、若者もいくつか理由をつけて消費をするわけだが、シニア層は買うのにも買わないのにもとにかく言い訳=理由付けが多い。勿論、あとからの理由付けもあるが、多くの場合は自分を納得させるために、自分の理性と戦うために言い訳を自分に言い聞かせてモノを購入する。
だから、シニア層は確かに理由付けをする購入をするので「すわっ、賢い消費者か」と思われがちであるが、実際その言い訳の内容を聞くと「仕事と私どっちが大事?」というような理論をぶっ飛ばしてしまっているものが大半である。しかし、多くの企業はまともに理由付けをするから、心に響かない。特に団塊世代はノリの良い世代である。彼らに「だって、○○なんだもんっ」と言わせないと、消費意欲は生まれない。あなたのために財布の紐はゆるくならない。
さて、そこで、突然考えた。なぜ皆は買わないのだろうか。買う理由はあとから理由付けを出来るが、買わない理由は買わない理由だからだ。そういうネガティブアプローチを考えるのが趣味なのである。(考えた言い訳)
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昔なじみのお客様に「まみちゃん、ちょっと来て、パソコン見てよ」と言われると、なかなか断りづらい。最近は断ることのほうが多いが、それでも、断れない人も多い。っていうか、ほとんど断れない。
今日は某先生のもとへ。50歳代半ばの一風変わったところもある某先生は学会で発表するスライドが作れなくてSOSを求めてきた。
「ああ、来たついでにさ、このメールの差出人、アドレス帳に追加しておいて」
見るとメールが文字化けをしている。
「先生、このメール、文字化けしてますね」と申し上げると「ああ、内容ね、よく読めないからね」!??いや、よく読めないんじゃなくて、全く読めない。
「変な人だよね」
・・・。「先生、このメール、ただ文字化けしているだけなので、直しましょうか?」
「えー。直せるの?この人、意味が解らない事を書いてるだけじゃないの?」
エンコードを直したら、すぐに読めるようになった。
そして、アドレス帳にも追加してあげた。
多分、某先生は私の背中に天使の羽を見ただろう、と思う。
先生は、多分、私が舞い降りるまで、「変なメール」のまま何も考えずに「そんなもんだ」と納得し、そして、多分、その人にメールを出さずにいただろう。人間は不満に気づきにくい。間違えたとしても「そんなもんだ、機械だもの」と勝手に納得してしまう。ウェブサイトの操作を見ていても、間違えた操作をしたとき、そして戻れなくなったとき、「そうよね、だってわたし初心者だもの」「やっぱりインターネットは若い人のものだからね」と勝手に納得する人は多い。多分、それで多くのウェブサイトはシニア層を無駄に逃している。
今日も話題に出たのだが、シニア層の場合、どこをクリックしたかだけを観察しているだけじゃダメだ。なぜって、完璧に勘違いしている場合のほうが多いからだ。例えば、何度も出てる話だけどサイトマップ、地図だと思ってクリックし続ける人もいる。それもアクセス解析だけで見るならば、1クリックになる。
アクセス解析はとても重要だが、数名のユーザーを見て、何故それをクリックしたのかを考える必要もある。もちろん、なぜそれをクリックしなかったのかも考える必要がある。操作している内に気が変わることも考えなくちゃいけない。とあるサイトでは最初は高評価だったのだが、時間がたつにつれて「目が疲れる」と評価が下がる場合も合った。そういうのも、全て感じなくてはいけない。
ところで、最近自分がシニア化している気がしてならない。
先日某様とスカイプをしていたときに、私が間違えた操作をしたとき、「デフォルトの設定でチャットにすれば?」とご指摘をいただいた(大感謝)。そういえば、「いっつも私、スカイプ操作のとき間違えるよなぁ」と思っていてそれでも、設定を変えるなんてことは考えもつかなかった。まあ、メッセンジャーはMSNがメインなので・・・と言い訳をしてみる。しかし、そういう「あきらめ」が多くなるのは心の平穏を求め、できれば波風を立てずに生きて生きたいと思うシニア化しているような気がしてならない。
でも、一つお願いが出来るならば、携帯電話、空メールが送れないようにして欲しい。あ、でもそういうサービスがあるのか。間違えてボタンを押して友達に空メールを送りまくっている。それもなぜか特定の友人にのみ空メールを送ってしまうのだ。(A君、すまぬ。)いわば無言メール。最後に「空だけどいい?」という警告、出てくれないものだろうか。
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シニア層や初心者層をユーザーとして捉えているウェブサイトならば、やってはいけないことの一つに「別ウィンドウ」がある。
その理由
1)別ウィンドウが開いたことに気づかない
前のページに戻るボタンで戻れないことに驚愕しがち。
2)マルチウィンドウの概念がない。
ウィンドウの切り替えが出来ない。
3)×がどのウィンドウに所属しているかの概念が薄い
パソコンに慣れた人は、パソコンは普通通り3次元である。後ろにあるウィンドウ、といってわかる。ウィンドウが重なっているという概念が解る。しかし、パソコンに慣れていない人にとっては、パソコンは2次元である。階層構造についての理解がどうやっても遅いのはパソコンが3次元である事をどうも認識できないからである。
となると、2次元の画面に3次元が存在している事を考えづらい。
そのため、別ウィンドウが出た瞬間に「別ウィンドウがでた」と認識している人でも、「ウィンドウが重なっている」という概念は薄い。となると、後ろにあるウィンドウの×をクリックしてしまう。それも嬉々として。
そして、手前にあるウィンドウは先ほど生まれたウィンドウであるが故に、戻るボタンが聞かない。そうして、あなたのウェブサイトのトップページには戻れない。
以上、何故別ウィンドウを使っちゃいけないのかと言う説明。
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シニア層とSNSについて好奇心のアンテナが出てきたので、色々ヒアリング。
わたしたちの場合、ヒアリングとは慶し気張ったものではなく、マルタイ(対象者、ちょっと刑事っぽく言ってみる)がいらしたときに「そういえば、○○さん最近どうよ、」みたいな話からはじめる。
するとまあ、とにかく色々な事を話してくださる。
全体的に話が長いのは難点なのだが、そこは先生と言う立場を利用してですね、色々聞き出すことが出来るのです。
というのも、何にも関係ない人に「最近、インターネットでモノを買いましたか?」という話をすると、多くのシニア層はまず買わない言い訳から入る。それが正しい、正しくないは置いておいて、とにかく自分がどう見えるかを意識しながら話す。だから、答えが面白くない。
それなりの長い年数一緒にいる人だと「そうなのそうなの、この間やろうと思ったんだけどねー、結局さぁ、途中でわかんなくなっちゃって、あ、そうだ、今日それ聞こうと思って!」となる。ユーザーテストも一挙に出来てしまう有意義なヒアリングだ。「ここをこうやろうとしたらもう解んなくなっちゃって!」
(ああ、それ完全な言葉の取り違えだ・・・)と思いながら、一通りやっていただいて、最後に答えを提供する。その最終的に答えがもらえる安心感が、日常のネタとして積み重なっていくのである。
さて。
SNSとシニア層である。
最近Tさんはめっきりミクシィにはまっている。「SNSとミクシィってどう違うの???」という質問をしながら「いやあ全然解らないんだけど、」と言いながら、従業員の若い子に聞きながら、色々楽しんでいる。
「普段どのようにミクシィ使ってますか?」ここぞとばかりにTさんがしゃべり始める。(ああ、そういえばTさんはしゃべりだすと30分はずっとしゃべっているなぁ・・・)と思いつつ、手元にメモを用意。
「ほら、いっぱい見に行かなくていいでしょ、ミクシィって。」どうもマイミクに登録してある人の日記更新を、ブックマークから行くのではなく自分のページにログインしたらすぐに確認できるRSS的な役割が「何も考えずにできるから」よいらしい。そのほか、色々気に入っている点を伺って「なるほどなぁ」の連続。百聞は一見にしかず、である。普段「使いこなしている」わたしたちから見ると、所謂「素人さん」の使い方はなるほどなあと思う。
「ミクシィ、楽しいですか?」と聞いてみる。こんなに嬉しそうに話すのだから、楽しいに違いない。
「うーん、楽しいってより便利。」
「でもね、コミュニティとかはまだ解ってないの。いまひとつ意味が解らなくって」
便利なら使う、意味が解らなければ「頑張ってまで解ろう」というよりはわかる範囲で「便利」を楽しむ。便利を他者から刺激されて始めて他の便利に気づく。所謂一般的な「ネット好き」の人のように次々と新しいサービスを探りには行かないし、「ふつー」の「ふつー」な使い方しかしない。
だって便利じゃない、ではじめて、便利な使い方を提案して次につなげる。応用力、発展力が薄くなるシニア層ならではの展開はこうあるべきなのかもなあと、ふとふと思ったのでありました。
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私は兼ねてからこの場を借りて「団塊世代はそんなにリッチでもないし、経験が豊かな賢い消費者とは一概には言えない」と言う事を常々言ってきました。
勿論、公の電波には載せられない事もたくさんありますので、私に直接お会いした方は私から色々な実情を聞いているかと思いますが。(もし聞いてなければそれは二日酔いだったのかも!;p)
ただ、今回日経ビジネスに「団塊世代は意外と下流が多い」という記事を読み、更に「不安を感じている」→だから団塊世代はマーケットとしておいしくないとか、ケチであるとか、そういう流れになるのはあまりにも単純すぎるし、その流れはあまりにも「わたしと仕事、どちらが大事?」的な仮設であると思う。
これから何度かに分けて「団塊世代は幻想なのか」と言う事を描いていきたいと考えていマス。
さてさて。
団塊世代とはなんだろうか?
Wikipediaの解説は非常に解りやすい。
まず、わたしの雑感として、団塊世代の人は非常に「若い」。若いと言うことは少し、軽いと言うことでもある。明るい、軽い。実は団塊世代の後の人のほうがまじめに感じる。
誤解を恐れずにいれば、団塊世代は周りが時代を用意してくれているので、比較的楽観的な方が多い。勿論人それぞれだが、それは勉強する態度にも出ている。団塊世代はまじめなフリをするのがうまい。ただ、挫折に弱い。勉強を見ていると、他の世代と違うのはそこだ。他の年代は壁に当たったとしても、比較的我慢できるが、団塊世代の特徴としては、これも、誤解を恐れずに、少ない150程度のN数で話すのであれば、壁に当たると、違う事をしたくなる。そして、いつも明るい。だからわたしは団塊世代が大好きだ。話していても明るい、イマドキの話題も出来る、のりも軽い、娘が口を聞いてくれない話以外は本当に面白い。そして、娘が口を聞いてくれない話は本当に辛い。(意外と仲良さんも多いですけど)
そして、団塊世代は決してケチではない。ケチという定義が出来ていない、もしくは人によって違う以上、そこは「けちではない」としかいえない。ただ、時折唖然とするお金の渋り方をするけども。
日経ビジネスに掲載されていた三浦さんの分析は面白かった。団塊ニート、スポーツ新聞、下町マイホーム、貧乏文化人、じゃあだれがお金を使うの?という話でもあるが、それはおいおいここにも書いていきましょう。取り上げられやすい人とか、アンケートで答えたがる人は得てして実は余りお金を使わない人が多くて、寡黙な、お金を使ってくれる層はアンケートに答えなかったりする。だからアンケートがこの世代に余り役に立たないですよぅと言っているわけで。でも、三浦さんの分析は面白い。東京メトロで日経ビジネス売っていますから東京周辺の方は是非。
で、だらだらと書いてしまったが、次回から団塊世代を中心としたわたしたちの分類であるとか、そういうものを掲載し、さらに、どういうものがシニア層に受け入れられるのか、そしてシニア層の常識・非常識についてつらつらと書いていきたいと思います。宜しくお願いいたします。
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朝、某高齢者団体と打ち合わせ。
「モリサン、Aさん、知ってるよね?」
Aさんは昔このブログにも登場したことがあるネット株取引が大好きなおにいちゃんである。うちの教室にいらしてはみんなの前で株取引をして色々な人の賞賛を浴び、さらに、優待券が来ると私たちに分けてくれるすてきなお兄様だ。
「Aさん、亡くなったのよ、それも孤独死で、死後数日きづかなかったって」
「・・・・・・・。」
Aさんはシルバー層が住む住宅に住んでいた。最近いないなぁと思った管理人さんが部屋に入ったらなくなっていたとのコト、仲良かっただけに、ちょっと感慨深いものが。
そういう話って避けて通れないわけで、今後、退職して「自分探し」に失敗して、欝になったり引きこもりになったりする人も増えるだろう。すべての人が「アクティブシニア」ではない。
できるかぎり、皆がアクティブになれるように、例えばウェブサイトを使いやすくすると提言しているのも少なくともITリテラシが低い人でもウェブサイトを使えれば、使いやすくあれば、情報が得られて誰か他の人と繋がって欝になるきっかけが減るとか、少しでも良いものを、少しでも楽しく使えればいい。
件のAさんも、私がそもそも「この人のためにウェブサイトは使いやすくなるべきだ」と思ったきっかけの一人である。PDFが全く解らなくて電子なんとかがとれなかったり、間違えて株を買ってしまったり、売ってしまったり。彼はそれすらも少しは楽しんでいたけども。
奥さんがなくなる、ご主人が亡くなるより奥さんがなくなるほうが後を引く人が多いわけですが、(女は強い)ときのフォロー、夫婦がいる「お一人様」と本当のお一人様はワケが違う。
そういうことを考えていると、少子化の現在、子どもがいない人々は、誰に看取られるのだろうかとちょっと感慨深く。
そういう、ネガティブな話にどう向き合っていくか、ということを今日の打ち合わせで話し合っていたのでした。あー。切ない。
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